コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

豊橋市立岩田小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
豊橋市立岩田小学校
地図北緯34度45分26.6秒 東経137度25分43.6秒 / 北緯34.757389度 東経137.428778度 / 34.757389; 137.428778座標: 北緯34度45分26.6秒 東経137度25分43.6秒 / 北緯34.757389度 東経137.428778度 / 34.757389; 137.428778
国公私立の別 公立学校
設置者 豊橋市
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210002626 ウィキデータを編集
所在地 440-0832
愛知県豊橋市中岩田四丁目1番地の2
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

豊橋市立岩田小学校(とよはししりついわたしょうがっこう)は、愛知県豊橋市中岩田にある公立小学校豊橋鉄道市内線運動公園前」停留場から東に500m。教育方針は「みんなで 明るく たくましく」。

歴史

[編集]

沿革

[編集]

児童数の変遷

[編集]

『愛知県小中学校誌』(1978年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[1]

1947年(昭和22年) 959人
1957年(昭和32年) 664人
1967年(昭和42年) 614人
1977年(昭和52年) 1637人

特色

[編集]

創立時の学区は純農村地帯だったが、1965年(昭和40年)以降の区画整理事業によって住宅地となった[2]。このため戦後には児童数が急激に増加し、まず1951年(昭和26年)4月1日には岩田小学校から豊橋市立岩西小学校が分離独立した[2]。1967年(昭和42年)の児童数は614人だったが、宅地化によって1977年(昭和52年)には1637人となったため、1979年(昭和54年)4月1日には岩田小学校から豊橋市立豊小学校が分離独立した[2]。それでもなお1987年(昭和62年)の児童数は1446人を数えたが、1997年(平成9年)には1055人、2007年(平成19年)には967人と落ち着きを見せている[2]

岩田団地(愛知県営岩田住宅)は外国人が多い団地であり、2009年時点では670世帯のうち約40%が日系ブラジル人らの外国人住民だった[3]。岩田小学校は1990年度(平成2年度)に3人の外国人児童を受け入れると、以後は外国人(特にブラジル人)児童数が徐々に増え、2007年(平成19年)時点では967人中150人が外国人児童である[2]。国際学級があるほか、校内施設の案内表示が日本語とポルトガル語の2ヶ国語で書かれている[4]。また、特徴の一つとして、給食後に生徒は教師が作成した英語学習動画を見る。アニメのように月ごとに話が進んだり、教師がキャラクターに変装してなりきり、学習用音楽CDのリズムに合わせて踊ることで生徒たちの興味を引き付け、体の動きと共に英語を覚えられる。

学校行事

[編集]
  • 4月 前期始業式、新任式
  • 5月 運動会
  • 6月 岩田キング、プール開き
  • 7月 夏休み
  • 8月 夏休み
  • 9月 後期始業式
  • 10月 豊橋まつり(造形パラダイス)へ作品出展
  • 11月 修学旅行(6年生)
  • 12月 学芸会
  • 1月 岩田どんどこ祭り
  • 2月 長縄大会
  • 3月 卒業式(5年生、6年生)、修了式


卒業生

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 六三制教育三〇周年記念愛知県小中学校誌編集委員会 1978, p. 583.
  2. ^ a b c d e 『六三制教育六十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会、2008年、p.646
  3. ^ 失職の外国人住民を支援 豊橋の団地自治会が日本語教室」『中日新聞』2009年4月15日
  4. ^ 学校と多文化共生社会 - 明治大学国際日本学部山脇啓造研究室

参考文献

[編集]
  • 六三制教育三〇周年記念愛知県小中学校誌編集委員会 編『六三制教育三十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校長会、1978年3月1日。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]