愛知県立国府高等学校
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(豊川市立高等学校から転送)
愛知県立国府高等学校 | |
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北緯34度49分48.85秒 東経137度19分43.56秒 / 北緯34.8302361度 東経137.3287667度座標: 北緯34度49分48.85秒 東経137度19分43.56秒 / 北緯34.8302361度 東経137.3287667度 | |
過去の名称 |
宝飯郡高等女学校 愛知県国府高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛知県 |
学区 | 三河群 Aグループ |
併合学校 | 豊川市立高等学校 |
校訓 |
学学術 為当為 (学ぶ術を学び 当に為すべきを為す) |
設立年月日 |
1920年(大正9年)3月 (宝飯郡高等女学校) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科・商業科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D123210001437 |
高校コード | 23211E |
所在地 | 〒442-8586 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
愛知県立国府高等学校(あいちけんりつこうこうとうがっこう)は、愛知県豊川市国府町下坊入にある公立高等学校。
学科
[編集]- 普通科
- 総合ビジネス科
沿革
[編集]- 1920年(大正9年)3月 - 宝飯郡高等女学校設立。
- 1923年(大正12年)
- 3月 - 愛知県国府高等女学校と改称する。
- 4月 - 郡制廃止により県立に移管。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学校教育法施行により愛知県立国府高等学校と改称。
- 1950年(昭和25年)4月 - 豊川市立高等学校(前身:豊川市立高等女学校)を統合。
- 1952年(昭和27年) - 機械科、電気科を分かち、愛知県立豊橋工業高等学校(豊橋本校・豊川分校)が発足。
- 1961年(昭和36年)11月 - 本館新築完成。
- 1963年(昭和38年)9月 - 新校舎(現在第2棟)第一期工事完成。
- 1968年(昭和43年)3月 - 新校舎(現在第2棟)第二期工事完成。
- 1972年(昭和47年)3月 - 同窓会館(光風会館)完工。
- 1975年(昭和50年)8月 - 第57回全国高等学校野球選手権大会(甲子園)に出場。
- 1991年(平成3年)3月 - 武道場(499.97m2)および弓道場(126.72m2)工事完工。
学校の特色
[編集]授業
[編集]- 月・木・金 - 1時限55分、6時間授業。
- 火・水 - 1時限50分、7時間授業。
売店
[編集]- 売店 - 同窓会が運営。
主な部活動
[編集]現在活動中の部活動
[編集]運動部
[編集]文化部
[編集]廃止された部活動
[編集]- ボート部[2]
通学圏
[編集]普通科は豊川市、豊橋市、蒲郡市を主とし、岡崎市東部や新城市以北からの進学も若干ある。
その他
[編集]商業科を最多時3クラス抱えたため、普通科は最多でも7クラスしか設置できず、豊川市の公立高校における普通科クラス数は人口10万を越える市で全国最少であった。そのため、豊川・宝飯地区に住む受験生で国府高校普通科に進学できない県立高校の普通科志望者は必然的に近隣の蒲郡高校や新城高校(現在の新城有教館高校)に通学せざるを得ない状況にあった。1970年代に入って、旧豊川市立高校復活を狙う豊川市と蒲郡高校分校消滅以来の中等教育機関新設を狙う旧小坂井町で新設高校誘致を争い、旧小坂井町に小坂井高校が設置されたため、この問題も緩和された。
著名な卒業生
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アクセス
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 『東愛知新聞』2020年11月11日付「国府高校 栄光の100年①」(東愛知新聞社)
- ^ かつて国府高校にはボート部があり、豊川放水路を用いて練習を行っていた。語呂の良さから国府高校航行部(こうこうこうこうこうぶ)という通称があった。金銭面の負担の大きさによる部員不足などが理由で、1980年代初頭頃に廃止されたようである。