豊島百貨店
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豊島百貨店 | |
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店舗概要 | |
所在地 | 茨城県土浦市本町902[2] |
開業日 | 1917年(大正6年)[1] |
閉業日 | 1989年(平成元年)[3] |
正式名称 | 豊島百貨店[1] |
商業施設面積 | 8,002 m²[2] |
前身 | 土浦繭糸市場[1] |
後身 |
霞百貨店[1] ↓ 京成霞百貨店[2] ↓ 土浦京成百貨店[3] |
最寄駅 | 土浦駅 |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 茨城県土浦市本町902[2] |
代表者 | 代表取締役社長 首藤浩[2] |
豊島百貨店(とよしまひゃっかてん)は、茨城県土浦市にかつて存在した日本の百貨店。
歴史・概要
[編集]1917年(大正6年)に茨城県土浦町(現在の土浦市)に豊島庄十郎(とよしましょうじゅうろう)が繭乾燥設備を持つ土浦繭糸市場を開設し、繭の取引を行っていない期間に豊島百貨店として百貨店を営業したのが始まりである[1]。
呉服や和洋小間物や玩具、文房具などの日用品全般から楽器や時計・宝飾まで幅広く取り揃えた百貨店として営業すると共に、1924年(大正13年)に日本のラジオ放送が始まった際には土浦町で初のラジオを設置して聴衆会を開くなど土浦の文化・情報の中心としても機能していた[1]。
1936年(昭和11年)に繭取引に関する法律改正のため土浦繭糸市場が閉鎖されて百貨店専業になって営業を続けた[1]。
第二次世界大戦後に霞百貨店となり[1]、1961年(昭和36年)に関連会社の霞ストアー(現在のカスミ)を設立して茨城県石岡市金丸にスーパーマーケットの一号店を開設する[4]などしたが、1964年(昭和39年)9月に 京成電鉄の傘下に入り[5]、1969年(昭和44年)4月25日に京成霞百貨店として新装開店し[5]、後に土浦京成百貨店となった[5]。
1979年(昭和54年)5月に売却されて京成電鉄の傘下を離れた[5]後も土浦京成百貨店として営業を続けたが、1989年(平成元年)に閉店して[3]その歴史に終止符を打った。
沿革
[編集]- 1917年(大正6年) - 土浦繭糸市場を開設[1]
- 正確な開始時期は不明- 繭の取引を行っていない期間に豊島百貨店を開設[1]
- 1936年(昭和11年) - 土浦繭糸市場を閉鎖して百貨店専業になる[1]
- 1945年(昭和20年)2月 - 豊島百貨店を買収し、霞百貨店になる[1]
- 1961年(昭和36年) - 関連会社の霞ストアー(現在のカスミ)を設立[4]
- 1964年(昭和39年)9月 - 京成電鉄の傘下に入る[5]
- 1969年(昭和44年)4月25日 - 京成霞百貨店として新装開店[5]
- 1973年(昭和48年)4月 - 土浦京成百貨店に商号変更[5]
- 1977年(昭和52年) - 長崎屋が20%の株式を取得して資本・業務提携し、人材派遣と商品供給を開始[6]
- 1979年(昭和54年)5月 - 売却されて京成電鉄の傘下を離れる[5]
- 1989年(平成元年) - 土浦京成百貨店が閉店[3]
脚注・出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 萩谷良太. “繭市場と土浦町-繭の集散拠点と土浦最初の百貨店”. 展示室だより 霞 2010年1月号 通巻第10号 (土浦市立博物館) (2010-1-5).
- ^ a b c d e f 日本商業年鑑 1972年版, 商業界, (1972), pp. 500
- ^ a b c d “中心市街地の活性化に向けて-県内主要都市の現状と方向性-”. 常陽アーク 2012年6月号 (財団法人常陽地域研究センター). (2012-6).
- ^ a b 『追悼集 高遠なる理想、平凡なる実行』神林留学生奨学会、1995年。
- ^ a b c d e f g h 『京成電鉄85年の歩み』京成電鉄、1996年。
- ^ 流通会社年鑑 1978年版, 日本経済新聞社, (1977-10-25), pp. 91-92