豊岡圭資
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豊岡 圭資(とよおか きよすけ、旧字体:豐岡 圭次󠄁、1880年〈明治13年〉2月16日[1] - 1939年〈昭和14年〉3月22日[1][2])は、明治から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・道雄[1][3]。
経歴
[編集]京都で殿掌・豊岡健資の四男として生まれ、父の死去に伴い、1892年(明治25年)4月21日、子爵を襲爵した[1][4][5]。1900年(明治33年)2月、圭資と改名した[3][4]。
1911年(明治44年)東京帝国大学文科大学東洋史学科を卒業[2][4]。同年7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]、研究会に所属して活動し[2]、死去するまで4期在任した[2][8]。また、1914年(大正3年)には大喪使祭官を務めた[2]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 豊岡健資 |
子爵 豊岡家第2代 1892年 - 1939年 |
次代 豊岡烈資 |