コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

谷脇理史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷脇 理史たにわき まさちか
人物情報
生誕 (1939-11-24) 1939年11月24日
日本の旗 日本 群馬県館林市
死没 (2009-08-28) 2009年8月28日(69歳没)
出身校 早稲田大学
学問
研究分野 近世文芸の研究
研究機関 跡見学園女子大学
筑波大学
早稲田大学
学位 早稲田大学文学博士
主な業績西鶴研究序説」
テンプレートを表示

谷脇 理史(たにわき まさちか、1939年11月24日[1] - 2009年8月28日[1])は、日本の日本近世文学研究者。学位は、文学博士早稲田大学論文博士・1983年)(学位論文西鶴研究序説」)。筑波大学教授・早稲田大学教授を歴任。

人物

[編集]

群馬県館林市生まれ[1]。1962年早稲田大学第一文学部国文学専修卒業[1]、1968年同大学院博士課程単位取得満期退学[1]。同年跡見学園女子大学専任講師[1]、のち助教授[1]、1976年筑波大学助教授[1]、のち教授[1]、1983年「西鶴研究序説」で早稲田大学より文学博士の学位を取得[1]、1990年、早稲田大学文学部教授[1]。のち文学学術院教授。2009年、胆嚢癌により定年前に死去した[1]

井原西鶴の作品をはじめとした近世文芸を研究した。特に、西鶴作品を草稿段階までさかのぼろうと試みる草稿成立論や、当時の出版規制へのカムフラージュを重要視する姿勢は、後の西鶴研究に大きな影響を与え、「谷脇西鶴」と称された[2][3]

中野三敏は「酔うと完全にグデングデンになる迄呑まないと駄目という風で、デカいわりに身体が軟らかく、呑み屋の鴨居まで足が上るというのが得意で、誰彼かまわず競争してひっくり返り、そのまま御開きということがしばしばで、それが早死の原因だったのかもしれない。人の良い秀才がいうのがあるとすれば、その典型的な人物であったように思う」と評している[4]

著書

[編集]
  • 『西鶴研究序説』新典社 1981
  • 『西鶴研究論攷』新典社 1981
  • 『元禄文化西鶴の世界』教育社歴史新書 1982
  • 『井原西鶴 浮世の認識者』新典社(日本の作家)1987
  • 『笑いのこころ 古典の楽しみ』筑摩書房 1993
  • 『西鶴 研究と批評』若草書房(近世文学研究叢書)1995
  • 『江戸のこころ 浮世と人と文学と』新典社 1998
  • 『近世文芸への視座 西鶴を軸として』新典社 1999
  • 『『好色一代女』の面白さ・可笑しさ(西鶴を楽しむ 1)』清文堂出版 2003
  • 『経済小説の原点『日本永代蔵』(西鶴を楽しむ 2)』清文堂出版 2004
  • 『創作した手紙『万の文反古』(西鶴を楽しむ 3)』清文堂出版 2004
  • 『『日本永代蔵』成立論談義 回想・批判・展望(西鶴を楽しむ 別巻1)』清文堂出版 2006

編著・共編著・校訂

[編集]

論文

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 「谷脇理史先生年譜・著作等目録」『近世文芸 研究と評論』第78巻、近世文芸研究と評論の会、2010年6月、280頁。 
  2. ^ 中嶋隆「「認識」と「表現」をめぐって―谷脇理史先生の西鶴研究」『西鶴と浮世草子研究』第3巻、笠間書院、2010年5月、169-171頁。 
  3. ^ 石塚修「〈谷脇西鶴〉偲び草―付・〈谷脇西鶴〉のための読書案内」『西鶴と浮世草子研究』第3巻、笠間書院、2010年5月、172-1177頁。 
  4. ^ 中野三敏『師恩 忘れ得ぬ江戸文芸研究者』岩波書店、2016年1月、142-145頁。