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谷宏明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷 宏明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県熊本市
生年月日 (1956-04-07) 1956年4月7日(68歳)
身長
体重
181 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1974年 ドラフト5位
初出場 1976年10月13日
最終出場 1989年7月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

谷 宏明(たに ひろあき、1956年4月7日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

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熊本第一工業高等学校では、エースとして1974年夏の甲子園予選中九州大会決勝に進むが、佐伯鶴城高に敗退、甲子園出場を逸する。同年のドラフト近鉄から5位指名を受けた。背番号は53。

1976年10月13日に後楽園球場で行われたロッテオリオンズ戦で7回裏に中継ぎ(敗戦処理)としてプロ初登板し、1回0/3を3失点で降板。チームも3-10で敗れた。[1]

1980年6月30日に日本生命球場で行われたロッテオリオンズ戦で9回2失点の完投勝利で、プロ初勝利を挙げた。[2]

1982年には速球とスライダーを武器に自身初となる二桁勝利の11勝を挙げる。初めて規定投球回(リーグ12位、防御率3.54)にも到達した。

1983年には背番号が11に変更となり、開幕投手を任されるなど球団からはエース候補として期待された。1984年にも8勝、防御率3.57(リーグ6位)の好記録を残す。しかしスライダーの投げ過ぎで肘を痛め、1988年には登板機会が減少。同年オフにトレードされることとなり、最初は阪神への移籍でほぼ合意に達していた[注釈 1]が、寸前でトレード先がヤクルトに変更となり、後関昌彦との交換トレードで移籍[注釈 2]。しかし復活することはできず、1989年限りで現役引退。

現在は、故郷熊本にて小学生を対象としたHIRO野球教室を発足させながら、桜木ふれスポ野球部『桜木少年野球クラブ』の監督を務めている。

人物・エピソード

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同じドラフトで熊本第一工業高等学校のチームメイトである前川光春(内野手)と相良憲治(投手)がドラフト指名され、前川は阪急ブレーブスから5位指名を受けて入団。相良は広島東洋カープから5位指名を受けたが入団を拒否して熊本鉄道管理局へ入社。同じ学校の同学年3人がプロからの指名を受けた当たり年であった。

1986年8月6日に藤井寺球場で行われた西武ライオンズ戦にて、近鉄は8回表に1イニング6被本塁打という不名誉なプロ野球記録を喫したが、谷はこの回の2死走者なしの場面で石本貴昭の後を受けて3番手で登板し、同郷の秋山幸二にこのイニング5本目となるホームランを打たれている。[6]

1982年にはシーズン完投4引き分けの珍記録を持つ。4月10日ロッテオリオンズ戦(日本生命球場)で2-2の引き分け[7]、4月24日ロッテオリオンズ戦(県営宮城球場)で延長11回を3-3の引き分け[8]、4月30日阪急ブレーブス戦(日本生命球場)で延長10回を4-4の引き分け[9]、5月27日南海ホークス戦(大阪球場)で延長10回を2-2の引き分け[10]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1976 近鉄 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 9 1.0 4 0 1 0 0 2 0 0 3 3 27.00 5.00
1977 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 15 4.0 4 0 2 0 0 1 1 0 1 1 2.25 1.50
1978 7 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 78 18.0 18 0 12 0 1 9 0 0 12 12 6.00 1.67
1979 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 20 4.0 7 1 1 0 0 1 0 0 5 5 11.25 2.00
1980 12 3 1 0 0 1 0 0 -- 1.000 155 31.0 43 9 16 0 1 17 1 0 29 23 6.68 1.90
1981 13 7 2 1 0 2 7 0 -- .222 220 50.1 52 7 22 0 2 38 0 0 33 30 5.40 1.47
1982 28 25 14 2 1 11 9 0 -- .550 820 200.2 184 23 58 0 3 107 2 0 85 79 3.54 1.21
1983 21 20 5 0 1 4 8 0 -- .333 510 111.2 130 16 56 1 4 60 4 0 78 76 6.13 1.67
1984 24 21 4 0 0 8 9 0 -- .471 637 146.1 121 20 76 2 6 85 3 0 72 58 3.57 1.35
1985 16 11 0 0 0 1 6 0 -- .143 231 49.0 53 13 29 1 3 22 1 0 38 37 6.80 1.67
1986 33 9 1 1 0 5 3 2 -- .625 367 82.1 88 10 32 5 6 43 4 0 45 37 4.04 1.46
1987 23 18 1 0 0 4 6 0 -- .400 426 93.1 108 9 39 1 6 40 3 0 65 58 5.59 1.58
1988 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 3.1 5 1 1 0 0 2 0 0 2 2 5.40 1.80
1989 ヤクルト 12 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 86 17.2 27 1 5 0 2 11 1 0 15 13 6.62 1.81
通算:14年 195 116 28 4 2 36 50 2 -- .419 3588 812.2 844 110 350 10 34 438 20 0 483 434 4.81 1.47
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 53 (1975年 - 1982年)
  • 11 (1983年 - 1988年)
  • 29 (1989年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 谷と住友一哉、阪神からは佐藤秀明山脇光治の2対2の交換トレードと報じられた[3]。谷の阪神移籍がなくなった後は改めて、近鉄から住友と南秀憲、阪神から佐藤と福家雅明のトレードで成立。
  2. ^ 最初ヤクルトからの交換要員は小川淳司と報じられた[4]が、その後交換要員が後関に変更された[5]

出典

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関連項目

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外部リンク

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