山形県立谷地高等学校
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山形県立谷地高等学校 | |
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北緯38度25分21.7秒 東経140度18分34.9秒 / 北緯38.422694度 東経140.309694度座標: 北緯38度25分21.7秒 東経140度18分34.9秒 / 北緯38.422694度 東経140.309694度 | |
過去の名称 |
西村山郡立実科女子学校 山形県立谷地高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山形県 |
学区 | 東学区 |
併合学校 | 山形県立高等家政女学校 |
校訓 | 知性・克己・進取 |
設立年月日 | 1921年5月12日 |
開校記念日 | 5月12日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D106232150011 |
高校コード | 06114A |
所在地 | 〒999-3511 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
山形県立谷地高等学校(やまがたけんりつ やちこうとうがっこう Yamagata Prefectural Yachi High School)は、山形県西村山郡河北町谷地字田中にある県立高等学校。
設置学科
[編集]沿革
[編集]前身は1921年(大正10年)5月12日に開校した西村山郡立実科女子学校である。
- 1921年(大正10年)5月12日 - 西村山郡立実科女子学校開校。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 山形県立谷地高等女学校となる。
- 1931年(昭和6年)4月1日 - 山形県立高等家政女学校併設
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、山形県立谷地高等学校となる。全日制と定時制(本校)、定時制の溝延、西里分校を設ける。
- 1952年(昭和27年)3月31日 - 西里分校廃止。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 家庭科を設置する。
- 1959年(昭和34年)3月31日 - 溝延分校廃止。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 商業科を設置する。
- 1965年(昭和40年)3月31日 - 定時制課程廃止。
- 1972年(昭和47年)3月31日 - 家庭科廃止。
- 1991年(平成3年)6月1日 - 新夏期制服導入。
- 1994年(平成6年)4月8日 - 新制服導入。
- 1998年(平成10年)4月1日 - 商業科1学級減。これにより、普通科120名、商業科40名となる。
- 2008年(平成20年)3月31日 - 商業科廃止。
校歌
[編集]- 校歌
- 壮行歌
- 凱歌
特徴
[編集]- 元女子高だった背景から、男子:女子が1:3である。また、男子トイレのない階がある。
- 夏は、近くの商店街の空き店舗を使って、商業科の生徒が、起業家育成プロジェクトを行っていた。
- 冬には、3年生が社交ダンスを行う。
部活動
[編集]運動部
[編集]- カヌー部(全国カヌー競技選手権大会、国民体育大会出場。入賞、優勝多数。アテネオリンピック出場者2名輩出)
- 卓球部(インターハイ、国民体育大会出場多数。日本代表輩出)
- 弓道部(インターハイ、国民体育大会出場。)
- ソフトテニス部
- バレーボール部
- ソフトボール部
- バスケットボール部
- 野球部
- 陸上競技部
文化部
[編集]アクセス
[編集]主な出身者
[編集]- 小和田敏子(卓球選手、第31回世界卓球選手権女子団体優勝者)[1]
- 大場恵美子(卓球選手、第31回世界卓球選手権女子団体優勝者)[2][3]
- 大塚文雄(民謡歌手)
- 田宮榮一(警察官僚)
- サザーランド(ロックバンド、メンバー4人中3人が出身者)
脚注
[編集]- ^ 『中日新聞』1970年7月26日付朝刊、中日サンデー版、20面。
- ^ 山形県立谷地高等学校創立99周年記念挨拶 同窓会長大沼恵美子
- ^ 卓球王国WEB | 協会&連盟>山形県卓球協会