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谷口貞光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
谷口 貞光
時代 江戸時代
生誕 文政4年8月27日1821年9月23日
死没 明治元年9月23日1868年11月7日
別名 永吉
弘前藩
氏族 橘氏流谷口氏
父母 父:谷口音弥、母:田村要七(弘前藩士)長女
谷口忠太
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谷口 貞光(たにぐち さだみつ)は、江戸時代後期の武士陸奥の大名津軽氏の家臣。

経歴

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文政4年(1821年)8月27日、陸奥国弘前城下の代官町に16石の弘前藩士谷口音弥の長男として生まれる。明治元年(1868年)9月23日野辺地戦争に銃隊頭副役、小島左近隊半隊司令士として出陣、小島左近とともに戦死した。同2年(1869年)12月長男谷口忠太に永世米20俵が藩主津軽承昭より下賜された。

野辺地戦争

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戦闘の経過については野辺地戦争#経過を参照。

野辺地戦争では、戦士の様子について異なる三説が存在する。一説に野辺地軍事局付近の白岩口で砲弾により戦死したという。また一説に銃弾により負傷し、退却途中盛岡藩の倉館可納と遭遇、お互い悪口雑言を浴びせ、ついに首を打たれたという。また一説に盛岡藩の星合千之助に銃殺されたという。野辺地に他の戦死者と共に葬られた。

参考文献

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  • 「津軽近世史料 5 弘前藩記事」1994年、北方新社
  • 「野辺地戦争記聞」1914年、山崎有信