谷口貞光
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 文政4年8月27日(1821年9月23日) |
死没 | 明治元年9月23日(1868年11月7日) |
別名 | 永吉 |
藩 | 弘前藩 |
氏族 | 橘氏流谷口氏 |
父母 | 父:谷口音弥、母:田村要七(弘前藩士)長女 |
子 | 谷口忠太 |
谷口 貞光(たにぐち さだみつ)は、江戸時代後期の武士。陸奥の大名津軽氏の家臣。
経歴
[編集]文政4年(1821年)8月27日、陸奥国弘前城下の代官町に16石の弘前藩士谷口音弥の長男として生まれる。明治元年(1868年)9月23日野辺地戦争に銃隊頭副役、小島左近隊半隊司令士として出陣、小島左近とともに戦死した。同2年(1869年)12月長男谷口忠太に永世米20俵が藩主津軽承昭より下賜された。
野辺地戦争
[編集]戦闘の経過については野辺地戦争#経過を参照。
野辺地戦争では、戦士の様子について異なる三説が存在する。一説に野辺地軍事局付近の白岩口で砲弾により戦死したという。また一説に銃弾により負傷し、退却途中盛岡藩の倉館可納と遭遇、お互い悪口雑言を浴びせ、ついに首を打たれたという。また一説に盛岡藩の星合千之助に銃殺されたという。野辺地に他の戦死者と共に葬られた。
参考文献
[編集]- 「津軽近世史料 5 弘前藩記事」1994年、北方新社
- 「野辺地戦争記聞」1914年、山崎有信