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謝六逸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
謝六逸
出身地: 貴州省貴陽
職業: 出版人
各種表記
繁体字 謝六逸
簡体字 谢六逸
拼音 Xiè Liùyì
和名表記: しゃ ろくいつ
発音転記: シエ・リウイー
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謝六逸(しゃ ろくいつ、1898年8月12日 - 1945年8月8日[1])は、中華民国編集者、文学研究者。1920年代という早い時代に日本文学を中国に紹介した。

略歴

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謝六逸は、貴州省貴陽に生まれた。名は光燊(こうしん、Guāngshēn)で、六逸は[1]。官費留学生として日本にわたり、1919年に早稲田大学政治経済科に入学した。谷崎精二に学んだという[2]。1922年に卒業後、帰国して上海商務印書館に勤務した。同年、文学研究会の機関誌である『小説月報』に「西洋小説発達史」を連載している[3]。1925年に『万葉集』の歌を選んで翻訳したものを『文学週報』に発表した。これは中国で最初に『万葉集』の翻訳を公刊したものであった[4]

1926年に復旦大学の新聞学部を創立し、その主任をつとめた[5]

日中戦争がはじまると故郷の貴州に戻った。1945年に貴陽で病死した。

主な著作

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志賀直哉「范の犯罪」ほか6篇の翻訳。
  • 『近代日本小品文選』(大江書舗、1929)

脚注

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  1. ^ a b 徐乃翔・欽鴻 編『中国現代文学作者筆名録』湖南文芸出版社、1988年、659-660頁。 
  2. ^ 小田切(2014) pp.12-13
  3. ^ a b 小田切(2014) p.12
  4. ^ 鄒(2014) p.130,132
  5. ^ 鄒(2014) p.147

参考文献

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  • 鄒双双『「文化漢奸」と呼ばれた男 - 万葉集を訳した銭稲孫の生涯』東方書店、2014年。ISBN 9784497214041 
  • 小田切文洋「謝六逸『日本文学史』をめぐって」(pdf)『国際関係学部研究年報(日本大学)』第35号、2014年、11-18頁。