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諏訪神社古墳

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諏訪神社北古墳から転送)
諏訪神社古墳

石室開口部
別名 諏訪古墳
所属 本郷・小林古墳群
所在地 群馬県藤岡市藤岡495(字東裏)
位置 北緯36度14分24.60秒 東経139度4分53.05秒 / 北緯36.2401667度 東経139.0814028度 / 36.2401667; 139.0814028座標: 北緯36度14分24.60秒 東経139度4分53.05秒 / 北緯36.2401667度 東経139.0814028度 / 36.2401667; 139.0814028
形状 前方後円墳
規模 墳丘長57m
高さ4m(後円部)
埋葬施設 両袖式横穴式石室(切石積み)
出土品 人骨・装飾付大刀・武器・武具・馬具・須恵器埴輪
築造時期 6世紀後半
史跡 藤岡市指定史跡「諏訪古墳」
地図
諏訪神社 古墳の位置(群馬県内)
諏訪神社 古墳
諏訪神社
古墳
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諏訪神社古墳(すわじんじゃこふん、諏訪古墳)は、群馬県藤岡市藤岡にある古墳。形状は前方後円墳。本郷・小林古墳群を構成する古墳の1つ。藤岡市指定史跡に指定されている(指定名称は「諏訪古墳」)。

本項では、諏訪神社古墳の北にある諏訪神社北古墳についても解説する。

概要

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右:諏訪神社古墳
左奥:諏訪神社北古墳

群馬県南部、神流川西岸の沖積地に築造された古墳である。現在は墳丘上に諏訪神社社殿が所在する。1906年明治39年)に調査が実施されている。

墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける。墳丘外表では円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(靫形・鞆形・人物埴輪など)が認められているが、葺石は明らかでない[1]。また墳丘周囲には周濠が巡らされ、現在も北側に池として認められる[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。切石積みによって構築された整美な石室であり、石室内の調査では人骨のほか装飾付大刀・武器・武具・馬具・須恵器など多数の副葬品が出土している。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[1]

古墳域は1974年昭和49年)に藤岡市指定史跡に指定された[2]。現在では石室内への立ち入りは制限されている。

遺跡歴

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墳丘

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墳丘

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:57メートル
  • 後円部
    • 直径:37メートル
    • 高さ:4メートル

墳丘周囲には周濠が巡らされる。墳丘北側では現在も池として遺存しており、かつては墳丘東側まで巡ったというが、1967年(昭和42年)頃に埋め立てられている[1]。また、前方部西側の神楽殿を1906年(明治39年)に建てる際、地盤が緩く通常の地業では困難で松の丸太を打ち込んだとされ、周濠が神楽殿付近までは及んでいた様子が示唆される[1]

埋葬施設

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石室内部

埋葬施設は両袖式横穴式石室で、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:5.9メートル
  • 玄室:長さ3.1メートル、幅1.9メートル、高さ2.2メートル(奥壁)

玄室の石材は牛伏砂岩の切石で、羨道は奥から手前2.8メートルは玄室同様であるが、その手前は自然石である。玄室の側壁は大きく内傾する。玄室の平面形は長方形。玄室の奥壁から手前0.7メートルの位置には板状の間仕切り石を立て、その間を棺座とする。玄室の床面は羨道よりも0.42メートル低く、川原石を2層敷いた上に砂、その上に小砂利を敷く。棺座は玄室の床面よりも0.20メートル高く、床面は同様である。玄室と羨道の間は2石を置いて梱石とする[1]

石室内の調査では、人骨のほか多数の副葬品が出土している。

出土品

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1906年(明治39年)の調査で石室内から検出された副葬品は次の通り[1]

  • 銀環
  • 単鳳環頭大刀
  • 直刀
  • 衝角付冑
  • 挂甲小札類
  • 鉄鏃
  • 弓弭金具
  • 馬具 - 壺鐙、轡、雲珠、鉸具類。
  • 須恵器 - 器台、提瓶、平瓶、高坏など。

諏訪神社北古墳

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諏訪神社北古墳

石室開口部
所属 本郷・小林古墳群
所在地 群馬県藤岡市藤岡(字東裏)
位置 北緯36度14分25.70秒 東経139度4分54.60秒 / 北緯36.2404722度 東経139.0818333度 / 36.2404722; 139.0818333 (諏訪神社北古墳)
形状 円墳
規模 直径25m
高さ2m
埋葬施設 両袖式横穴式石室(截石切組積み)
史跡 なし
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諏訪神社北古墳(すわじんじゃきたこふん)は、群馬県藤岡市藤岡にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。

概要

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諏訪神社古墳の北西30メートルに位置する。現在は墳丘上に高山長五郎頌徳碑・町田菊次郎頌徳碑(いずれも藤岡市指定重要文化財)が建つ。1906年(明治39年)に諏訪神社古墳とともに調査が実施されている。

墳形は円形で、直径25メートル・高さ2メートルを測る[3]。墳丘外表で葺石・埴輪の有無は明らかでない[3]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南西方向に開口する。截石切組積みによって構築された整美な石室であり、石室内からは多数の遺物が出土したという(現在は所在不明)。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定され、諏訪神社古墳と同時期の築造と位置づけられる。

現在では石室内への立ち入りは制限されている。なお、本古墳の東側にもかつて古墳があり、直刀2・鉄鏃数本・釿1・銅鋺1の出土が報告されている[3]

埋葬施設

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埋葬施設は両袖式横穴式石室で、南南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[3]

  • 石室全長:3.8メートル
  • 玄室:長さ3.4メートル、幅1.7-1.8メートル、高さ1.65-1.7メートル

石室壁の石材は凝灰岩の切石で、切組積みによって構築される。奥壁は一枚石で、奥壁・側壁とも内傾する。玄室の床面は羨道よりも0.18メートル低く、拳大の転石の上に川原砂を敷く。天井石は牛伏砂岩[3]

石室内からは多数の遺物が出土し、県庁に届けられたというが、現在は所在不明となっている[3]

文化財

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藤岡市指定文化財

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  • 史跡
    • 諏訪古墳 - 1974年(昭和49年)3月26日指定[2][4]

脚注

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参考文献

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  • 史跡説明板(藤岡市教育委員会設置)
  • 「諏訪神社古墳」『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名』平凡社、1987年。ISBN 4582490107 
  • 三浦茂三郎「諏訪神社古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 『藤岡市史 資料編 原始・古代・中世』藤岡市、1993年。 NCID BN04340651全国書誌番号:94012837 
    • 「諏訪神社古墳」「諏訪神社北古墳」

関連文献

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関連項目

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外部リンク

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