調所恒徳
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調所 恒徳(ちょうしょ つねのり、1860年2月15日(万延元年1月24日[1])- 1924年(大正13年)12月26日[1][2])は、明治から大正期の鉄道技術者、実業家、政治家、華族。正四位勲四等男爵[2]。貴族院男爵議員。
経歴
[編集]薩摩藩士・調所広丈の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1912年(明治45年)1月31日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
1882年(明治15年)札幌農学校を卒業[2][3]。同年、札幌県御用掛に就任[2]。以後、北海道庁技手、鉄道局技手、仙台営業事務所長、帝国鉄道庁技師、殖産国債社長、青森商業会議所特別議員などを務めた[2][3]。また、父の遺志を受け継いで北海道の殖産事業に尽くした[3]。
1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[5][6]、公正会に所属して活動し死去するまで1期在任した[2][7]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
関連項目
[編集]- 坂田山心中事件-甥(弟・定の五男)が起こした事件で映画化もされた。
日本の爵位 | ||
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先代 調所広丈 |
男爵 調所(広丈)家第2代 1912年 - 1924年 |
次代 調所一郎 |