許貞淑
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許貞淑 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 허정숙 |
漢字: | 許貞淑 |
発音: | ホ・ジョンスク |
日本語読み: | きょ・ていしゅく |
許 貞淑(ホ・ジョンスク、1908年7月16日 — 1991年6月15日)は、 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の女性運動家・政治家。
経歴
[編集]1908年に咸鏡北道に許憲の娘として生まれる。京城培花女子高等普通学校卒業。日本の関西学院大学、上海の外語学校に留学する。その後、女性運動に参加し、崔昌益と結婚。南京を経て延安に行き、朝鮮独立同盟で活動する。1945年に日本の敗戦による朝鮮の解放後、帰国、朝鮮労働党に入党し、文化宣伝相、司法相、最高裁判所長、祖国統一民主主義戦線書記長などを歴任する。夫の崔昌益の粛清後も、労働党政権の最高幹部の一人として活躍する。1991年に平壌で死去。国葬に付された[1]。
脚注
[編集]- ^ 「【ファイル社会主義朝鮮】」『月刊朝鮮資料』第31巻第8号、朝鮮問題研究所、1991年8月1日、62頁、NDLJP:2676982/33。