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許貞淑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
許貞淑
各種表記
チョソングル 허정숙
漢字 許貞淑
発音 ホ・ジョンスク
日本語読み: きょ・ていしゅく
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許 貞淑(ホ・ジョンスク、1908年7月16日1991年6月15日)は、 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の女性運動家政治家

経歴

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1908年に咸鏡北道許憲の娘として生まれる。京城培花女子高等普通学校卒業。日本関西学院大学上海の外語学校に留学する。その後、女性運動に参加し、崔昌益と結婚。南京を経て延安に行き、朝鮮独立同盟で活動する。1945年に日本の敗戦による朝鮮の解放後、帰国、朝鮮労働党に入党し、文化宣伝相、司法相、最高裁判所長、祖国統一民主主義戦線書記長などを歴任する。夫の崔昌益の粛清後も、労働党政権の最高幹部の一人として活躍する。1991年に平壌で死去。国葬に付された[1]

脚注

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  1. ^ 「【ファイル社会主義朝鮮】」『月刊朝鮮資料』第31巻第8号、朝鮮問題研究所、1991年8月1日、62頁、NDLJP:2676982/33