許桂恒
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許桂恒 | |
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『省政彙覧』第七輯 安東省篇(1936年) | |
プロフィール | |
出生: | 1885年(光緒11年)[1][2] |
死去: | 没年不詳 |
出身地: | 清盛京将軍管轄区遼陽県[1][3] |
職業: | 官僚 |
各種表記 | |
繁体字: | 許桂恒 |
簡体字: | 许桂恒 |
拼音: | Xǔ Guìhéng |
ラテン字: | Hsü Kuei-heng |
和名表記: | きょ けいこう |
発音転記: | シュー・クイホン |
許 桂恒(きょ けいこう、1885年 – 没年不詳)は、中華民国・満洲国の官僚。
事績
[編集]遼陽警務学校を卒業。中華民国時代は、昌図県と鉄嶺県で県長をつとめた。満洲国建国後は、黒龍江省公署参事官、瀋陽県長を歴任する。1934年(康徳元年)、安東省民政庁長となり[1]、1937年 (康徳4年)6月30日、黒河省長に任命された[4]。翌1938年(康徳5年)8月に辞任し、10月に赤十字社理事となる[1]。1940年(康徳7年)、満洲生活必需品株式会社副理事長となり、1943年(康徳10年)時点でも在任している[3]。
1944年以降における許桂恒の動向は不詳となっている。