角谷美知夫
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角谷 美知夫(かどたに みちお、1959年 - 1990年8月5日)は、日本のギタリスト、ボーカリスト。角谷 美智夫、角谷 未知夫とも表記される。1970年代末から1980年代前半にかけてサイケデリック・ロックバンド「オッド・ジョン」「腐っていくテレパシーズ」で活動した。
来歴
[編集]1959年に山口県宇部市で生まれる。裕福な家庭に育つが1974年に中学を退学後、住所不定のヒッピーとなる。1977年に東京に移り住み、1978年から工藤冬里や木村礼子と共に音楽活動を開始。1979年に「オット・ジョン」を結成し吉祥寺マイナーを中心に活動する、
その後、オット・ジョンは自然消滅し、以降は「腐っていくテレパシーズ」として活動するが、この頃から重度の躁鬱と幻覚幻聴に悩まされるようになる。精神分裂病がもたらす幻覚作用や霊的感覚を表現した、どうしようもなく崩れ落ちていく陰鬱なロック音楽は「他に例えようもない、特異な感性から放射される音霊」と評された[1]。
その後、ジヒドロコデインリン酸塩というドラッグにはまり、1990年8月5日に31歳の若さでオーバードーズによるとみられる膵臓炎で夭折した。翌1991年6月、PSFレコードから生前の自宅録音とライブテープを再編集した追悼盤『腐っていくテレパシーズ』が発売される。なお中島らものドラッグ・エッセイ『アマニタ・パンセリナ』や自伝的小説『バンド・オブ・ザ・ナイト』には「分裂病のカド君」として角谷が度々登場している。