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角田長雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

角田 長雄[1](つのだ ながお、1902年明治35年)[2] - 没年不明)は、日本地主[2][3][4]

人物

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東京府荏原郡碑衾村大字碑文谷出身。角田元亮の長男[2][3]。母・いくは現在の世田谷区北沢の地主・阿川信平の妹[5]1931年家督を相続した[2][3]東京府立園芸学校を卒業し、1年志願兵となり陸軍砲兵少尉に任ぜられた[3]。地主として知られた[3]1934年清水池公園のために若干の土地寄付した[6]。戦後、公職追放となった[7]。住所は東京市目黒区碑文谷[1][2]

家族・親族

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角田家
親戚

脚注

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  1. ^ a b 『日本紳士録 第38版』東京ツの部528頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第11版 下』ツ66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月31日閲覧。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第10版 下』ツ46-47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月31日閲覧。
  4. ^ 『日本紳士録 第46版』東京ツの部314頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月31日閲覧。
  5. ^ a b c 『人事興信録 第12版 上』ア25-26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月4日閲覧。
  6. ^ 清水池公園沿革、昭和十年十二月 東京市。
  7. ^ 『公職追放に関する覚書該当者名簿』688頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
  8. ^ a b c 『人事興信録 第9版』ツ39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月31日閲覧。
  9. ^ 『日本紳士録 第32版』東京ツの部511頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月31日閲覧。
  10. ^ 『日本大学校友会会員名簿 昭和7年4月現在』503頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月5日閲覧。
  11. ^ 『日本紳士録 第40版』東京アの部5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月31日閲覧。

参考文献

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  • 交詢社編『日本紳士録 第32版』交詢社、1928年。
  • 日本大学校友会編『日本大学校友会会員名簿 昭和7年4月現在』日本大学校友会、1928-1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1934年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第46版』交詢社、1942年。
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。