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覚王寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
覚王寺

山門前から望む覚王寺
所在地 愛知県丹羽郡扶桑町高雄南屋敷135
位置 北緯35度21分12秒 東経136度55分19秒 / 北緯35.35333度 東経136.922度 / 35.35333; 136.922座標: 北緯35度21分12秒 東経136度55分19秒 / 北緯35.35333度 東経136.922度 / 35.35333; 136.922
山号 金華山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 十一面観音
創建年 元徳2年(1330年
開山 友峰宗益
文化財 本堂庫裏、大日堂、鐘楼山門
(いずれも登録有形文化財
法人番号 7180005009293 ウィキデータを編集
地図
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覚王寺(かくおうじ)は、愛知県丹羽郡扶桑町にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院

概要

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山号は金華山、本尊十一面観音本堂庫裏、大日堂、鐘楼山門の5棟が国の登録有形文化財に登録されている。

歴史

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1330年元徳2年)の創建で、天台宗に属していた。文明年間に焼失したが、本尊のみ難を逃れ、今も寺宝として安置されている。十四世友峰宗益は、1510年永正7年)9月、村の北端北海道(現在の扶桑町立高雄小学校の西南)の地に寺を再建し、金華山覚王寺と称し、臨済宗に改宗。友峰和尚を開山として山那の龍泉寺の末寺となった。1729年享保14年)、研宗和尚の時、現在地に移転された[1]2005年平成17年)7月12日本堂庫裏、大日堂、鐘楼山門の5棟が国の登録有形文化財に登録された。

文化財

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登録有形文化財

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いずれも2005年平成17年)7月12日登録。

ギャラリー

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旧覚王寺跡

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現在、高雄南屋敷にある金華山覚王寺は、かつて下野村堀の内にあった[2]。今の扶桑町高雄北海道の南の名鉄線路が敷かれているあたりである。

この織田街道沿いの堀の内は、犬山城攻めの織田信長軍の進撃路に当たっていて、犬山方の武士はこの寺などを拠点として戦った。その兵火のため、旧覚王寺は炎上したと思われる。今の覚王寺は、大三世友峰宗益が再興した寺であり、炎上後今の地に移って再建されたとされている。覚王寺にある銘文に「天文永禄之蜂起[注釈 1]」の文字がある。天文永禄の蜂起によって寺の鐘が失われたので、新たに鋳造したことを表したものである。

なお、当時この地域の主要な道路としては、織田街道、柳街道などがあるが、天正4年の記録によるとこれらの道幅は本街道で三間二尺(約6m)、脇海道二間二尺、在所道は一間とあり、狭くて大軍の移動には障害が多かったと推察される。

所在地

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「蜂起」とは、農民が武装して立ち上がることを意味するが、この地域で一揆が起きた記録がないことから、織田一族の一連の戦いを「天文永禄の蜂起」として鐘に記したものと考えられる。

出典

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  1. ^ 『扶桑町史(下)』第四編 生活と文化 第二章 宗教
  2. ^ 扶桑町教育委員会 & 扶桑町史編集委員会 1998, pp. 270.

参考文献

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  • 扶桑町教育委員会、扶桑町史編集委員会『扶桑町史 上』扶桑町、1998年。 

関連項目

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