見目清 (2代)
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2代 見目 清(けんもく きよし、1883年(明治16年)11月16日[1] - 1963年(昭和38年)4月5日[2][注 1])は、明治から昭和期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・清三[1][2]。
経歴
[編集]栃木県塩谷郡太田村(北高根沢村を経て現高根沢町)[3]で、素封家・初代見目清の長男として生まれる[1][3][4]。県立宇都宮中学校[3](現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、早稲田大学政治経済科を卒業[2][5][注 2]。父の死去に伴い1904年(明治37年)5月に家督を相続し2代清を襲名した[1][2][3][4]。
矢口長右衛門らと宝積寺銀行を立上げて取締役となり、1915年(大正4年)頭取に就任[1][2][3]。下野実業銀行頭取にも就任し、その後、6銀行合併して下野中央銀行が創立され副頭取に就任し、1926年(大正15年)2月、頭取に就任した[2][3][5]。その他、宇都宮瓦斯社長、中央商事社長、下野印刷社長、東野鉄道取締役、下野新聞監査役などを務めた[1][2][4][5]。
政界では1910年(明治43年)以降、北高根沢村会議員(2期)、栃木県会議員(1期)、同副議長、栃木県地方森林会議員などを務めた[1][2][3][5]。1929年(昭和4年)津久居彦七の死去に伴う補欠選挙で貴族院議員に互選され[2][3][6]、同年11月12日[7]から1932年(昭和7年)9月28日まで在任した[5]。在任中は研究会に所属した[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 『野州名鑑』下野新聞社、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社、1995年。