コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

西高津村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
にしこうづむら
西高津村
廃止日 1897年4月1日
廃止理由 編入合併
(大阪市第一次市域拡張)
現在の自治体 大阪市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
東成郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,251
(『角川日本地名大辞典 27 大阪府』919頁、1899年)
隣接自治体 大阪市(南区)、東成郡東平野町天王寺村
西高津村役場
所在地 大阪府東成郡西高津村
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

西高津村(にしこうづむら[1])は、大阪府東成郡(当初は西成郡)にあった。現在の大阪市中央区高津中寺谷町天王寺区下寺町などにあたる。

地理

[編集]

上町台地のほぼ中央部に位置していた[2]

歴史

[編集]
  • 江戸時代、西高津村は摂津国西成郡に属し、元和元年(1615年大坂藩松平氏領を経て、同5年(1619年幕府領となる[2]。生玉社領も所在した[2]。当村は大坂三郷に隣接し、古来、高津瓦・高原焼の産地であった[2]。元和2年(1616年)から延享2年(1745年)にかけて、立慶町、高津五衛門町、西高津町、元伏見坂町、西高津新地などが大坂三郷に編入され、次第に村域が縮小した[2]
  • 1869年(明治2年) 大阪府に所属[2]
  • 1871年(明治4年)生玉社地が大阪南大組の付属地となる[2]
  • 1873年(明治6年)塩町口野畑、高津宮鳥居内の地所、西寺町孔雀茶屋地所、糸引庵地所、関屋口、坂町裏天神社内外の地が大阪南大組各町に編入[2]。また寺町のうち生玉筋中寺町・谷町八丁目筋寺町の全域、生玉寺町・下寺町の一部と、生玉社地が西高津村に編入[2]
  • 1888年(明治21年)大阪市接続町村に指定[2]
  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、東成郡西高津村の大部分が単独で村制施行し、西高津村が発足[1][2]。字髭剃は南区難波村に編入[2]。大字は編成せず[2]
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 大阪市へ編入され、東区西高津となる[1][2]
  • 1900年(明治33年) 谷町8 - 9丁目、西高津中寺町生玉町下寺町1丁目となる[2]

産業

[編集]

若干の畑地が存在したが、村制施行後、建屋が多くなり、木工竹細工、鼈甲細工、焼物などの生産が進み、生玉門前町では大工・左官などの職人が多い町を形成した[2]

名所・旧跡

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』591頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』918-919頁。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]