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西駒屋田村家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西駒屋田村家住宅
情報
構造形式 木造、瓦葺[1]
建築面積 195 m² [1]
階数 平屋建[1]
竣工 明治時代後期
所在地 441-3155
愛知県豊橋市二川町字中町147-1
座標 北緯34度43分26.5秒 東経137度26分59.9秒 / 北緯34.724028度 東経137.449972度 / 34.724028; 137.449972 (西駒屋田村家住宅)座標: 北緯34度43分26.5秒 東経137度26分59.9秒 / 北緯34.724028度 東経137.449972度 / 34.724028; 137.449972 (西駒屋田村家住宅)
文化財 登録有形文化財
指定・登録等日 2014年10月7日
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西駒屋田村家住宅(にしこまや たむらけじゅうたく)は、愛知県豊橋市二川町字中町147-1にある邸宅。旧東海道二川宿にある町家である。主屋、土蔵が登録有形文化財[1][2]。主屋、門、離れ兼倉庫が豊橋市景観重要建造物[3]

歴史

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西駒屋の分家

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本家の駒屋

二川宿東海道の宿場である。江戸時代中頃、田村家が駒屋として質屋を開業した[4]。江戸時代末期に東駒屋が分家して味噌・醤油の醸造業を始めると、1910年(明治43年)頃に西駒屋も分家し[4]、味噌・醤油などの醸造業を営んだ。主屋と土蔵はこの頃に建てられたとされる[4]

東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)頃には、20人の職人が100庫の桶を用いて味噌や醤油を製造していた[5]。その後は醸造業界にも機械化が進行し、大量生産された他社の商品がスーパーに並んだことで、西駒屋は生産量を減らした[5]

文化財としての保存

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2007年(平成19年)、豊橋市は西駒屋などがある旧東海道沿いを二川宿景観形成地区に指定した[4]。その後、所有者の田村哲朗は格子などの改修を行った[4]

2014年(平成26年)10月7日、主屋と土蔵が登録有形文化財に登録された[1][2]。個人所有の建造物としては初の指定である[6]。2024年(令和6年)3月13日、主屋、門、離れ兼倉庫が豊橋市景観重要建造物に指定された[6]

文化財

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土蔵

登録有形文化財

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  • 主屋
    • 木造平屋建、瓦葺[1]。建築面積195平方メートル[1]東海道に南面して建つ[1]。2列6室の平面構成であり、東列は通り側からミセ、ナカノマ、ダイドコロ、西列は通り側からオクミセ、ブツマ、オクノマ[1]
    • 明治時代後期竣工[1]。2014年(平成26年)10月7日、登録有形文化財に登録された[1]
  • 土蔵
    • 土蔵造2階建、瓦葺[2]。建築面積58平方メートル[2]。桁行6間、梁間3間[2]。主屋の北側に建つ[2]
    • 明治時代後期竣工[2]。2014年(平成26年)10月7日、登録有形文化財に登録された[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 西駒屋田村家住宅主屋 文化遺産オンライン
  2. ^ a b c d e f g h 西駒屋田村家住宅土蔵 文化遺産オンライン
  3. ^ 景観重要建造物と景観重要樹木 豊橋市
  4. ^ a b c d e 「しょうゆ屋建物 国文化財登録へ 豊橋 町並み保存へ後押し」『中日新聞』2014年3月19日
  5. ^ a b 「いまどき東海道五十三次 『明治の味』守る古桶」『中日新聞』2001年7月4日
  6. ^ a b 「景観重要建造物に市民俗資料収蔵室 西駒屋も 豊橋市」『中日新聞』2024年3月6日

参考文献

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  • 泉田英雄『豊橋市二川町の醸造施設建物調査報告書 東駒屋と西駒屋を中心に』豊橋技術科学大学、2016年

外部リンク

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