西館建久
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(西館平馬から転送)
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 文政12年(1829年)2月1日 |
死没 | 明治25年(1892年)9月15日 |
別名 | 丑太郎、孤清、平馬 |
墓所 | 江東区亀戸の長寿寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 津軽承昭 |
藩 | 弘前藩 |
氏族 | 西館氏 |
妻 | 美佐子 |
子 | 養子:武雄 |
西館 建久 / 西舘 孤清(にしだて たてひさ / にしだて こせい)は、江戸時代後期の弘前藩士。弘前藩権大参事。号は孤清。
生涯
[編集]勘定奉行や在京用人などを務めた。慶応4年/明治元年(1868年)7月1日、神戸港からアメリカの汽船で朝廷令書と近衛家教書及び金5500両を持って出航し、4日三厩に到着した。当日に弘前に帰還し、弘前藩を勤皇方へ導いた。明治2年(1869年)、弘前藩権大参事となり、永世俵150俵を賜った。翌3年(1870年)には西館建哲、山中逸郎らと豪農からの田地買上げ及び士族への分与を提案し、実現させた。同5年(1872年)の東奥義塾の設立に関わり、翌6年(1873年)に津軽家家令となった。明治7年(1874年)1月に辞し、7月から15年10月まで津軽家の世話をした。後に東京で死去した。
人物
[編集]剣道を極め、歴史や経済に明るく、優れた人物であった。