西野嘉右衛門
15代 西野 嘉右衛門(にしの かえもん、1878年(明治11年)1月10日[1][2] - 1967年(昭和42年)5月16日[1][2][3])は、日本の実業家、政治家。藍商・酒造業、西野嘉右衛門家15代当主[1][4][注 1]、貴族院多額納税者議員。旧名・保太郎[4][5]。
経歴
[編集]徳島県勝浦郡小松島浦(現小松島市)で、豪商・西野保太郎の二男として生まれた[1][2][5]。西野家は創業万治元年といわれる阿波藍商人(屋号・野上屋)で、現在は酒造の西野金陵として知られる。
1900年、専修学校(現専修大学)理財課を卒業[1][2][3][5]。一年志願兵として入隊し陸軍二等主計に進み日露戦争に出征した[1][2][4][6]。兄・14代嘉右衛門の死去により、1905年3月27日に家督を継承し15代嘉右衛門を襲名した[1][2][4][6]。
家業の藍商が、外国産の安価な藍の輸入によって影響を受けたため、化学染料製造を開始した[4]。その他、家業の酒造業(銘酒「金陵」)、金物商、塩田事業、煙草元売捌などを経営した[1][2]。また、金陵西野商店会長、阿波国共同汽船会長、阿波商業銀行頭取、日本製飴社長、阿波藍同業組合評議員などを務めた[1][2][3][5]。
政界では、1938年の貴族院多額納税者議員補欠選挙で当選して、同年10月31日に就任し[7]、翌1939年に再選され[8] 研究会に所属して活動し、1940年10月15日[9]まで2期在任した[1][2][3]。
文化面では、喜田貞吉などを講師に招いて小松島講演会を開催し、『阿波藍沿革史』などを刊行し、1940年には徳島県教育会長に就任した[1][2]。
著作
[編集]- 『阿波藍沿革史』西野嘉右衛門、1940年。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『徳島県百科事典』768頁では16代。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『徳島県人名事典 別冊』229-230頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『徳島県百科事典』768頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』214頁。
- ^ a b c d e 『47都道府県別 日本の地方財閥』206-207頁。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録』第14版 下、ニ38頁。
- ^ a b 『阿波人物鑑』133頁。
- ^ 『官報』第3549号、昭和13年11月1日。
- ^ 『官報』第3823号、昭和14年9月30日。
- ^ 『官報』第4135号、昭和15年10月16日。
- ^ a b c 『47都道府県別 日本の地方財閥』219頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録』40版下「西野嘉右衛門」の項
参考文献
[編集]- 菊地浩之『47都道府県別 日本の地方財閥』平凡社〈平凡社新書〉、2014年。
- 『徳島県人名事典 別冊』徳島新聞社、1994年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『徳島県百科事典』徳島新聞社、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
- 『阿波人物鑑 : 御大典記念』徳島日々新報社、1928年。
外部リンク
[編集]- 西野ハル子 - 12代西野嘉右衛門の妻の伝記