西脇晋
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西脇 晋(にしわき しん、1882年(明治15年)1月2日[1] - 1933年(昭和8年)12月19日[2])は、日本の大蔵官僚、弁護士、衆議院議員(立憲民政党)。
経歴
[編集]名古屋市出身。高岡応次の三男として生まれ、1905年(明治38年)に西脇長太郎の婿養子となった[3]。1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、大蔵省に入った。大蔵省では税務監督官などを務め、1916年(大正5年)に退官した。退官後は弁護士・弁理士として活動した。
1926年(大正15年)、衆議院補欠選挙に当選[4]。以後、当選回数は4回を数えた。その間、齋藤内閣では外務参与官を務めた。その他、法政大学講師、帝国製鉄・蔵内商事・満蒙土地建物・横浜倉庫監査役、大阪造船所取締役などを兼ねた[5]。
著書
[編集]- 『戦時利得税法要義』(宝文館、1918年)
- 『改正所得税法正解』(西脇晋法律事務所、1920年)
- 『震災被害者の租税の減免』(西脇晋法律事務所、1923年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新興日本名士録』帝国時事通信社、1927年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和七年五月』衆議院事務局、1932年。