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西福寺 (福山市新市町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西福寺

西福寺の門
所在地 広島県福山市新市町大字金丸1612
山号 功円山
宗旨 浄土真宗
宗派 本願寺派
本尊 阿弥陀如来像(木仏)
創建年 1525年
開基 祐良
公式サイト 西福寺
法人番号 2240005009151 ウィキデータを編集
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西福寺の境内

西福寺(さいふくじ)は、広島県福山市新市町金丸にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は功円山。室町時代から現在まで続く。1525年創設(前身の実相寺含む)。現在の住職は27代山名孝彰

歴代住職

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初代〜7代は毛利家[1]。寺院合併により第8代目から山名姓となる。

  • 初代 祐良
毛利元弘四男就勝の子である祐良が、父就勝自害により、元綱元就の嫌悪を危惧し出家し金丸村(現:新市町金丸)に、西福寺の前身寺である大江山実相寺を建立する。1571年没。
  • 2代 祐実
1558年没。
  • 3代 祐秀
祐実の弟。兄の早世により法燈継承。1571年没。
  • 4代 祐光
1605年没。
  • 5代 祐元
1594年没。
  • 6代 祐和
祐元の弟。1617年没。
  • 7代 祐清
1641年没。
  • 8代 山名祐念
幼名は太郎丸。山名持豊の末裔である但馬守の孫であり、宮内卿の子。関ヶ原の合戦で毛利輝元に随従して敗北した後、備後国御調郡大多城に没落する。後、剃髪して一寺を建立し、功円山報徳院西福寺と称す。1626年、芦品郡木之山村角芽谷権現(現:府中市木野山町角目)へ引越す。1635年、祐念は実相寺第7代目祐清の養子となる。祐清死後、1648年に実相寺、西福寺の両寺協議により、寺号を西福寺とし、苗字は山名氏、家紋等は毛利氏に準ずることとした。これにより、当山は西福寺を吸収合併し、西福寺と改称した。1672年没。
  • 9代 山名祐正
祐念の長男。1718年没。
  • 10代 山名祐雪
祐正の長男。1705年より本堂再建に着手、1707年完成。
  • 11代 山名祐閑
祐雪の長男。1732年没。
  • 12代 山名祐光
祐閑の長男。1744年没。
  • 13代 山名祐会
祐光の次男。1772年没。
  • 14代 山名祐泰
祐会の長男。1772年、18歳で没。
  • 15代 山名雲晴
祐会の次男。祐泰の弟。1808年没。
  • 16代 山名祐甫
1837年没。
  • 17代 山名祐海
雲晴の長男。祐甫の義弟。1879年没。
  • 18代 山名一晋
裕海の弟。1852年没。
  • 19代 山名千界
生没年不明。1875年生存記録あり。
  • 20・21代 [2]
  • 22代 山名祐諦
祐海の長男。1924年没。
  • 23代 山名祐心
祐海の次男。祐諦の弟。雅号は古松園主。1932年没。
  • 24代 山名哲昭
祐心の長男。1886年生まれ。1958年没。
  • 25代 山名哲晋
祐心の次男。哲昭の弟。1892年生まれ。1960年没。
  • 26代 山名浩明
専教寺より入寺。坊守は哲晋の長女。1958年から2003年まで45年間住職。2004年没。
  • 27代 山名孝彰
浩明の長男。2003年より住職(現職)。坊守は寂静寺13代住職の長女。

脚注

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  1. ^ 姓不明。ただし西福寺文書の内容から推測すれば、姓は毛利の可能性があると思われる(住職談、2014年1月拝聴)。
  2. ^ 20〜21代住職記録は現在捜索中。『西福寺文書』には18代目までの記載のみとなっている。19代千界は外部記録からの推測。22代以後は西福寺墓地にて確認(なお、墓地では8〜13代も確認できる)。

参考文献

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  • 『西福寺文書』(西福寺所蔵)
  • 千葉乗隆 編『本願寺史料集成 木仏之留 御影様之留』(同朋舎出版、1980年)
  • 公式サイト https://saifukuji.wordpress.com/