西福寺 (福山市新市町)
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西福寺 | |
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西福寺の門 | |
所在地 | 広島県福山市新市町大字金丸1612 |
山号 | 功円山 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 本願寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来像(木仏) |
創建年 | 1525年 |
開基 | 祐良 |
公式サイト | 西福寺 |
法人番号 | 2240005009151 |
西福寺(さいふくじ)は、広島県福山市新市町金丸にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は功円山。室町時代から現在まで続く。1525年創設(前身の実相寺含む)。現在の住職は27代山名孝彰。
歴代住職
[編集]初代〜7代は毛利家[1]。寺院合併により第8代目から山名姓となる。
- 初代 祐良
- 毛利元弘四男就勝の子である祐良が、父就勝自害により、元綱元就の嫌悪を危惧し出家し金丸村(現:新市町金丸)に、西福寺の前身寺である大江山実相寺を建立する。1571年没。
- 2代 祐実
- 1558年没。
- 3代 祐秀
- 祐実の弟。兄の早世により法燈継承。1571年没。
- 4代 祐光
- 1605年没。
- 5代 祐元
- 1594年没。
- 6代 祐和
- 祐元の弟。1617年没。
- 7代 祐清
- 1641年没。
- 8代 山名祐念
- 幼名は太郎丸。山名持豊の末裔である但馬守の孫であり、宮内卿の子。関ヶ原の合戦で毛利輝元に随従して敗北した後、備後国御調郡大多城に没落する。後、剃髪して一寺を建立し、功円山報徳院西福寺と称す。1626年、芦品郡木之山村角芽谷権現(現:府中市木野山町角目)へ引越す。1635年、祐念は実相寺第7代目祐清の養子となる。祐清死後、1648年に実相寺、西福寺の両寺協議により、寺号を西福寺とし、苗字は山名氏、家紋等は毛利氏に準ずることとした。これにより、当山は西福寺を吸収合併し、西福寺と改称した。1672年没。
- 9代 山名祐正
- 祐念の長男。1718年没。
- 10代 山名祐雪
- 祐正の長男。1705年より本堂再建に着手、1707年完成。
- 11代 山名祐閑
- 祐雪の長男。1732年没。
- 12代 山名祐光
- 祐閑の長男。1744年没。
- 13代 山名祐会
- 祐光の次男。1772年没。
- 14代 山名祐泰
- 祐会の長男。1772年、18歳で没。
- 15代 山名雲晴
- 祐会の次男。祐泰の弟。1808年没。
- 16代 山名祐甫
- 1837年没。
- 17代 山名祐海
- 雲晴の長男。祐甫の義弟。1879年没。
- 18代 山名一晋
- 裕海の弟。1852年没。
- 19代 山名千界
- 生没年不明。1875年生存記録あり。
- 20・21代 [2]
- 22代 山名祐諦
- 祐海の長男。1924年没。
- 23代 山名祐心
- 祐海の次男。祐諦の弟。雅号は古松園主。1932年没。
- 24代 山名哲昭
- 祐心の長男。1886年生まれ。1958年没。
- 25代 山名哲晋
- 祐心の次男。哲昭の弟。1892年生まれ。1960年没。
- 26代 山名浩明
- 専教寺より入寺。坊守は哲晋の長女。1958年から2003年まで45年間住職。2004年没。
- 27代 山名孝彰
- 浩明の長男。2003年より住職(現職)。坊守は寂静寺13代住職の長女。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『西福寺文書』(西福寺所蔵)
- 千葉乗隆 編『本願寺史料集成 木仏之留 御影様之留』(同朋舎出版、1980年)
- 公式サイト https://saifukuji.wordpress.com/