西田武生
西田 武生(にしだ たけお、1922年〈大正11年〉3月6日[1] - 2022年〈令和4年〉7月6日)は、日本のファッションデザイナー[2]。秋篠宮紀子、美空ひばり、黒柳徹子らのドレスなどを手がけた[3]。
経歴
[編集]1922年(大正11年)、富山県高岡市に生まれる[4]。1938年(昭和13年)、伏木商業学校を卒業後、横浜造船横浜工場に入社[2]。1940年(昭和15年)、伏木富山港の税関貨物取扱人になる[2]。1944年(昭和19年)、中国北東部へ徴兵のため応召される[2]。1945年(昭和20年)、召集解除となり富山に戻る[2]。
1947年(昭和22年)、大和高岡店[注釈 1]に就職、宣伝部で働き、のちに洋裁部で働いていた女性と結婚する[2]。
1951年(昭和26年)夏、妻と共に上京する[2]。半年後、伊勢丹主催の「婦人子供服デザインコンクール」で婦人服特選入賞となる[2]。伊東茂平の指導を受ける[2]。1953年(昭和28年)、みくらに入社[2]。
1962年(昭和37年)、西田武生デザインルームを創設し、ブランド「TAKEO NISHIDA(タケオ ニシダ)」を立ち上げる[2]。1963年(昭和38年)より全国の専門店や百貨店に「西田武生プレタポルテ」コーナーを設置する[6]。1975年(昭和50年)、ブテック武生を設立[7]。1985年(昭和60年)8月、エジンバラ城ロイヤル・コレクションに参加する[6]。
2012年(平成24年)、新ブランド「Lady Nishida(レディ ニシダ)」を立ち上げる[2]。
2022年(令和4年)7月6日、老衰のため100歳で死去[8]。
家族
[編集]長女は中国料理研究家の倉島寿永子。寿永子の夫は元デビスカップ日本代表強化選手のプロテニスプレーヤー倉島英造。二人の娘(武生の孫)は、プロテニスプレーヤーであり服飾デザイナーの倉島侑里。侑里の夫は、東京交響楽団正指揮者を務める指揮者の原田慶太楼[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『現代物故者事典 2021〜2023』日外アソシエーツ、2024年、p.431。
- ^ a b c d e f g h i j k l “ファッションデザイナー西田武生さんが終生燃やし続けた〝強烈な願望〟”. 致知出版社 (2022年7月7日). 2022年10月4日閲覧。
- ^ “日本女性のエレガンスを創造する94歳の現役デザイナー”. 軽井沢ウェブ. 軽井沢新聞社. 2022年10月4日閲覧。
- ^ “西田武生(にしだ・たけお)さん(高岡市出身、東京都大田区)”. 西日本新聞 (2022年9月26日). 2022年10月4日閲覧。
- ^ “大和高岡店が閉店 76年の歴史に幕”. 日本経済新聞 (2019年8月25日). 2022年10月4日閲覧。
- ^ a b “DESIGNER”. TAKEO NISHIDA. 2022年10月4日閲覧。
- ^ 高村学 (2022年7月6日). “ファッションデザイナーの西田武生氏が100歳で逝去 半世紀以上にわたって日本のファッション業界を牽引”. セブツー. 2022年10月4日閲覧。
- ^ “西田武生さん死去 ファッションデザイナー”. 時事通信社 (2022年7月7日). 2022年10月4日閲覧。
- ^ “受け継がれる思いを大切にしたウエディング@綱町三井倶楽部”. 25ans Wedding. ハースト婦人画報社 (2018年4月7日). 2024年5月13日閲覧。