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西海市立西海西小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西海市立西海西小学校
地図北緯33度02分13秒 東経129度40分01秒 / 北緯33.036806度 東経129.666833度 / 33.036806; 129.666833座標: 北緯33度02分13秒 東経129度40分01秒 / 北緯33.036806度 東経129.666833度 / 33.036806; 129.666833
過去の名称 西海町立面高小学校太田和分校
西海町立西小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 西海市
設立年月日 1978年昭和53年)4月1日
閉校年月日 2016年平成28年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 851-3505
長崎県西海市西海町太田和郷862番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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西海市立西海西小学校(さいかいしりつ さいかいにししょうがっこう, Saikai City Saikainishi Elementary School)は、長崎県西海市西海町太田和郷にあった公立小学校。略称は「西海西」(さいかいにし)、「西小」(にししょう)。

西海市立西海南小学校との統合により、西海市立西海小学校が新設されるため、2016年(平成28年)3月末に閉校した。

概要

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歴史
1978年昭和53年)に当時の西海町立面高小学校太田和分校を独立させる形で、「西海町立西小学校」が開校。2005年平成17年)の町村合併により、現校名となった。2013年(平成25年)に創立35周年を迎えた。
学校教育目標
「楽しい学校・きれいな学校・開かれた学校」
校章
1978年(昭和53年)に制定。旧・面高小学校の校章をほぼ継承し、中央の「面小」の文字を「西」の文字に変更。海の波を図案化したものを背景にして中央に「西」の文字を置く。
校歌
1978年(昭和53年)に制定された。作詞・作曲ともに富永博による。歌詞は3番まであり、3番に校名の「西小」が登場している。
校区
住所表記で西海市西海町の後に「太田和(岳・港・西・南・北・東)、中浦(奥野(奥野地区の中浦北郷・中浦南郷)・中浦木場・石宗)」が続く地域。中学校区は西海市立西海中学校

沿革

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前史(面高小学校および太田和分校)
  • 1874年(明治7年)- 学制に基づき、岳の城跡西側の竈門(かまど)神社付近に「公立下等面高小学校」(面高の読みは「おもだか」)が開校。
  • 1875年(明治8年)
    • 字塔尾に「公立下等天久保小学校」が開校し、天久保郷と黒口郷の児童を収容。
    • 太田和神社の東南に「公立下等太田和小学校」が開校。
  • 1881年(明治14年)- 暴風雨により、上記の3校舎ともに倒壊。
    • 面高小学校は竈門神社の拝殿を仮校舎として使用。
    • 天久保小学校は字村中に移転。
    • 太田和小学校は太田和郷1133番地にあった旧庄屋の隣接地に移転。
  • 1882年(明治15年)- 天久保小学校が面高小学校に統合され、天久保分教場となる。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易面高小学校」・「簡易太田和小学校」に改称。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、両小学校とも面高村立の小学校となる。
  • 1890年(明治23年)4月 - 小学校令の改正により、簡易科を廃止し、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常面高小学校」・「尋常太田和小学校」に改称。
  • 1893年(明治26年)4月 - 小学校令の一部改正により、「面高尋常小学校」・「太田和尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
  • 1896年(明治29年)11月(12月とも) - 黒口郷海岸に木造2階建ての校舎を完成させ、高等科を併置の上、「面高尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。
    • 太田和尋常小学校を統合し、「太田和分教場」とする。また天久保分教場を面高本郷に移築し、「面高分教場」とする。
  • 1899年(明治32年)7月 - 高等科を4年制とする。児童数の増加により、本校校舎1棟を新築。また村役場の移転のため、旧役場の建物を仮校舎とする。
  • 1902年(明治35年)- 西校舎が完成。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育年限が尋常科4年から尋常科6年に延長されたため、修業年限を尋常科6年・高等科2年に改定。
  • 1910年(明治43年)4月 - 太田和分教場に4年生までの児童を収容。
  • 1913年大正2年)
    • 12月 - 面高分教場の校舎を字萩原に新築し移転。
    • この時 - 本校の東校舎が完成。
  • 1914年(大正3年)2月11日 - 面高実業補習学校(男子部)を併置。
  • 1919年(大正8年)- 併置の面高実業補習学校に女子部を設置。
  • 1927年(昭和2年)- 太田和分教場を移転。
  • 1935年(昭和10年)6月1日 - 青年学校令の施行により、併設の実業補習学校が「面高青年学校」に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令の施行により、「面高村国民学校」(初等科6年・高等科2年)に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧・国民学校の初等科が改組され、「面高村立面高小学校」(6年制)が発足。面高分教場を「面高分校」、太田和分教場を「太田和分校」とする。
    • 旧・国民学校の高等科が改組され、「面高村立面高中学校」(新制中学校,3年制)となり、当面の間小学校と青年学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 面高青年学校が廃止される。
  • 1955年(昭和30年)
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 太田和分校で6年生までの児童を収容。
  • 1964年(昭和39年)2月9日 - 鉄筋コンクリート造の校舎が完成。
  • 1965年(昭和40年)9月 - 校歌を制定[1]
  • 1969年(昭和44年)1月1日 - 町制施行により、「西海町立面高小学校」に改称。
  • 1972年(昭和47年)2月 - 西海町立学校給食共同調理場が完成し、完全給食を開始。
  • 1977年(昭和52年)3月 - 体育館が完成。
  • 1978年(昭和53年)3月31日 - 西海町立面高小学校(本校)が廃止される。
正史(西海西小学校)

交通アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

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  • 太田和公民館
  • はすの実保育園
  • 太田和簡易郵便局

脚注

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  1. ^ 面高小学校校歌は、作詞が関口正治、作曲が宗久彌による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞の中に登場しない。

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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