西橋昇
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西橋昇 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1951年10月17日(73歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
初免許年 | 1973年3月3日 |
免許区分 | 平地・障害 |
騎手引退日 |
1992年2月29日 1991年11月24日(最終騎乗) |
重賞勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 2164戦170勝 |
西橋 昇(にしはし のぼる、1951年10月17日 - )は、日本の元騎手。
来歴
[編集]1975年3月3日の中京第5競走5歳以上200万下・エルバート(11頭中3着)で初騎乗[1]を果たし、5月20日の阪神第4競走4歳200万下・ゴシロオーダーで初勝利[2]を挙げる。7月8日の札幌では初の1日2勝[2]を挙げるなど、1年目の同年は9勝[3]をマーク。
2年目の1974年には初の2桁勝利となる12勝[3]、3年目の1975年には8月1日・2日・3日の札幌で3日連続勝利[4]を挙げるなど自己最多の26勝[3]をマーク。
1980年には5年ぶりの2桁勝利となる11勝[3]をマークし、1981年にはスカイリーダの初年度産駒[5]ダイタクプロスパアで活躍[6]。東京優駿では10着ながら関西馬最先着[7]を果たし、神戸新聞杯ではアグネステスコの4着、京都新聞杯ではサンエイソロンの4着、菊花賞ではミナガワマンナの5着であった[6]。
1982年には2年ぶりの2桁となる10勝[3]をマークし、1985年には12月15日の中京で1日3勝[8]を挙げ、1986年まで5年連続2桁勝利[3]を記録。
1986年の中日新聞杯ではハクリョウベルで4着までクビ差の接戦を制して[9]人馬共に唯一の重賞勝利[10] [11]を挙げ、天皇賞(春)では16頭中15番人気ながらスダホーク・サクラユタカオー・メジロモンスニーを抑えてクシロキングの4着[12]と健闘。
1991年9月7日の中京第3競走4歳未勝利・レッドレターデイが最後の勝利となり、11月24日の京都第11競走トパーズステークス・ダイタクウイナー(11頭中10着)を最後に引退[13]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 167 | 197 | 188 | 1594 | 2146 | .078 | .170 |
障害 | 3 | 4 | 0 | 11 | 18 | .167 | .389 |
計 | 170 | 201 | 188 | 1605 | 2164 | .079 | .171 |
- 主な騎乗馬
- ハクリョウベル(1986年中日新聞杯)
脚注
[編集]- ^ “西橋昇の近走成績”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ a b “西橋昇の近走成績”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ a b c d e f “西橋昇の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|西橋昇の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “産駒一覧(1978)|種牡馬情報|スカイリーダ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2024年12月29日閲覧。
- ^ a b “ダイタクプロスパア (Daitaku Prosper)”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “東京優駿|1981年5月31日”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “抽出[]|西橋昇の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “中日新聞杯|1986年2月16日”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “ハクリョウベル (Hakuryo Bell)”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|西橋昇の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “天皇賞(春)|1986年4月29日”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “西橋昇の近走成績”. netkeiba.com. 2024年12月29日閲覧。