西村卓爾
表示
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
西村 卓爾(にしむら たくじ、1889年〈明治23年〉4月3日) - 1967年〈昭和42年〉10月10日)は、大正時代中期の歯科医師である。
生涯
[編集]長門国美祢郡大嶺村(山口県美祢市大嶺町重安)に醫家西村家第四代当主西村俊三(にしむら しゅんぞう)の嫡男として生まれた。 父親と同じく医師を志し大阪高等医学専門学校(現:大阪医科薬科大学)を卒業。しかし剣道の試合中に耳を痛め、歯科医師へ転向する。 東京歯科医学専門学校(現:東京歯科大学)卒業(第3期)[1]。 大正2年3月、山口県下関市新地町において西村歯科医院開業[2]。
大正7年、山口県に2歯科医師会が存立し、対立状態が続いた当時、日本連合歯科医師会会長である血脇守之助氏、山口県歯科医師会会長である林義三郎氏と会談、問題解決に尽力する[どうやって?]。 山口県歯科医師会副会長(第11代)、理事(第9代)など要職を歴任[3]。
嫡男西村莞爾(にしむら かんじ)ほか多くの門人を育てるも山口県下関市新地町において78歳で病没した。