西尾忠方
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西尾 忠方(にしお ただみち、1884年(明治17年)5月14日[1] - 1958年(昭和33年)6月17日[1][2])は、大正から昭和期の政治家、実業家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・加藤、旧名・泰吉[1]。
経歴
[編集]旧大洲藩主・加藤泰秋の四男として生まれ、1909年(明治42年)12月、子爵・西尾忠篤の養子となり[1][3][4]、同年同月、忠方と改名[5]。養父の死去に伴い、1910年(明治43年)11月29日、子爵を襲爵した[1][3][4][6]。
1913年(大正2年)東京帝国大学法科大学を卒業[2][3]。馬政調査会委員、軍用保護馬鍛錬中央会副会頭、日本競馬会評議員、十五銀行監査役、蓬莱殖産監査役などを務めた[2][3]。
1918年(大正7年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[7][8]、研究会に属して活動し[2]、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。その他、農林省委員、農商省委員などを務めた[2]。
親族
[編集]- 養母 西尾明子(あきこ、堀越角次郎養女[1])堀越は日本橋で呉服太物商を営む豪商で長男の妻は松方正義の五女[9]。
- 妻 西尾美知子(佐佐木高美長女、1912年11月結婚)[1][4]
- 長男 西尾忠愛[1]
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[10]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 下巻』206-208頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』50頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』ニ20頁。
- ^ a b c 『華族畫報 下』529頁。
- ^ 『官報』第7956号、明治42年12月29日。
- ^ 『官報』第8233号、明治43年11月30日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、26頁。
- ^ 『官報』第1788号、大正7年7月18日。
- ^ 堀越角次郎 (男性)『人事興信録』データベース第4版 [大正4(1915)年1月] 、名古屋大学
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 西尾忠篤 |
子爵 (横須賀)西尾家第2代 1910年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |