西尾忠固
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時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
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生誕 | 文化8年(1811年) |
死没 | 安政4年5月27日(1857年6月18日) |
改名 | 剛之丞(幼名)→忠固 |
戒名 | 戒珠院殿粛堂瑞光大居士 |
墓所 | 静岡県掛川市西大渕の龍眠寺 |
官位 | 従五位下、豊後守、隠岐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 遠江横須賀藩主 |
氏族 | 西尾家(後期東条吉良氏庶流) |
父母 | 父:西尾忠善 |
兄弟 | 忠宝、忠固 |
妻 | 正室:本庄宗発の娘 |
子 | 養子:忠受 |
西尾 忠固(にしお ただかた)は、遠江横須賀藩の第6代藩主。横須賀藩西尾家9代。
生涯
[編集]文化8年(1811年)、第5代藩主西尾忠善の四男として生まれる。文政9年(1826年)9月21日、将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下・右京亮に叙任する。文政12年(1829年)3月16日、父が病気を理由に隠居したため家督を継ぐ。天保11年(1840年)3月2日、奏者番に就任したが、天保13年(1842年)2月19日に辞職した。天保14年(1843年)8月7日、病気を理由に家督を養子の忠受に譲って隠居した。
安政4年(1857年)5月27日、横須賀城にて死去、享年47。
系譜
[編集]父母
- 西尾忠善(父)
正室
- 璋 ー 本庄宗発の娘
養子