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西囎唹郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 九州地方 > 鹿児島県 > 西囎唹郡
鹿児島県西囎唹郡の位置

西囎唹郡(にしそおぐん)は、鹿児島県にあった

郡域

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1887年明治20年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • 霧島市の一部(国分各町・霧島各町・福山町各町・隼人町小浜・隼人町野久美田・隼人町真孝・隼人町住吉・隼人町小田・隼人町見次・隼人町内山田・隼人町神宮・隼人町内・隼人町姫城・隼人町松永)
  • 垂水市の一部(牛根境)

歴史

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21.敷根村 22.清水村 23.東襲山村 24.福山村 25.国分村 26.西国分村 27.東国分村(紫:霧島市 1 - 6は姶良郡 11 - 15は桑原郡)

郡発足までの沿革

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  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている、囎唹郡のうち後の本郡域の明治初年時点での村は以下の通り[1]。全域が現・霧島市。
    • 敷根郷 - 敷根村[2]、上之段村、湊村
    • 福山郷 - 福山村、福沢村、佳例川村
    • 国分郷 - 下井村、野口村、野久美田村、府中村、松木村、上小川村、新町村、内村、住吉村、真孝村、福島村、小浜村、小田村、内山田村、向花村、川内村、上井村、見次村、小村、浜之市村[3]
    • 清水郷 - 川原村、弟子丸村、山之路村、郡田村、姫城村
    • 襲山郷 - 大窪村、田口村、松永村、川北村、重久村
    • 牛根郷(一部) - 福地村、境村
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。
  • 明治2年(1869年) - 襲山郷が桑原郡日当山郷を合併。
  • 明治5年(1872年) - 敷根村が分割して麓村・浜町となる。
  • 明治12年(1879年
    • 2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての囎唹郡が発足。「加治木郡役所」が管轄。
    • 襲山郷が分割し、一部(旧・日当山郷)が桑原郡西襲山郷、残部が囎唹郡東襲山郷となる。
  • 明治17年(1883年) - 福山村の一部(浦町)が分立して福山浦町となる。

郡発足以降の沿革

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  • 明治20年(1887年
    • 5月9日 - 囎唹郡のうち上記5郷余の区域をもって西囎唹郡が発足[4]
    • 福地村の所属が福山郷に変更。
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、各郷に敷根村清水村東襲山村福山村国分村[国分郷のうち上小川村・向花村・野口村・府中村・新町村・本町[5]・唐仁町[5]]、西国分村[国分郷のうち真孝村・住吉村・浜之市村・野久美田村・小浜村・小田村・内山田村・見次村・内村]、東国分村[国分郷のうち小村・福島村・松木村・上井村・川内村・湊村]が発足。ただし、湊村が東国分村、下井村が敷根村、境村が南大隅郡牛根村のそれぞれ一部となる。
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「加治木郡役所」が管轄する姶良郡・桑原郡・西囎唹郡の区域をもって、改めて姶良郡が発足[6]。同日西囎唹郡廃止。

脚注

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  1. ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による。
  2. ^ 記載は麓村。
  3. ^ 記載なし。
  4. ^ 鹿兒島縣下分郡ノ件(明治20年勅令第7号、 原文
  5. ^ a b 上小川村のうち。本項では町数に数えない。
  6. ^ 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、 原文

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 46 鹿児島県、角川書店、1983年3月1日。ISBN 404001460X 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

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先代
囎唹郡
行政区の変遷
1887年 - 1897年
次代
姶良郡