コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ベ・ホ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
裵湖から転送)

ベ・ホ배호裵 湖1942年4月24日 - 1971年11月7日)は、大韓民国歌手1960年代に「誰か泣いて (누가 울어)」、「戻る三角地 (돌아가는 삼각지)」、「霧の奨忠壇公園 (안개 낀 장충단 공원)」などがヒットした。腎臓炎のために、29歳で若死した。本貫は、慶州である。

生涯

[編集]

1942年、当時の中華民国(後の中華人民共和国山東省済南市光復軍の一員だったベ・ククミンの長男として生まれた[1]。 父は平安北道鉄山郡出身で、母は新義州市出身であった。 出生時の名は裵晩今(ペ・マングム)であり、中学生の時に裵信雄(ペ・シンウン)と改名した。 1945年の解放後、両親とともに韓国に帰り、仁川の収容所で生活した。 その後は、ソウルの昌信洞敵産家屋(적산가옥)に住んだ。 ソウル昌信初等學校朝鮮語版を卒業し、釜山三聖中学校朝鮮語版に入学したが、1956年に2年生で中退した。

貧困に苦しみながら、1958年から1964年にかけて、韓国放送公社 (KBS) や東洋放送 (TBC) で楽団長をしていた母方のおじキム・グァンス (김광수) や、文化放送 (MBC) の初代楽団長を務めたキム・グァンビン (김광빈) の楽団、トンファ (동화)、チョンジ (천지)、MBC楽団、キム・インベ (김인배) 楽団などでドラムスを演奏し、音楽活動を始めた。12人編成のバンドを結成してソウルの楽園洞朝鮮語版にあったプリンス・ キャバレー (프린스 카바레)などで活動し、名を売った。

1966年に腎臓炎を患い、1967年には裵相台 (ペ・サンテ)朝鮮語版が作曲した「戻る三角地」を発表した。 この曲は、3月16日に吹き込みが行われたが、これに先立つ1月27日に三角地交差点で大規模な立体交差化の工事が始まり、これが話題になっていたこともあって、レコードは大ヒットとなった[2]

その後、腎臓炎の闘病中であった1971年11月7日に、病状が悪化し、当時の城北区(後の江北区弥阿10洞朝鮮語版の自宅から病院に向かう救急車の中で死去した。まだ満29歳で、未婚であった。 墓は、京畿道楊州市の新世界公園墓地 (신세계 공원묘지) にある。

1981年に実施された、MBC特集世論調査で「最も好きな歌手」の1位に選ばれ、2005年6月の『光復60年記念KBS歌謡舞台』の世論調査でも「国民に最も愛された国民歌手10人」のひとりに選ばれた。

作品と活動

[編集]

5年ほどの歌手生活の間に、10社あまりのレコード会社から、20枚あまりのレコードを発売しており、合せて300曲あまりの録音を残した。

  • 1963年(21歳):芸名の「ペ ホ」でデビュー、デビュー曲「굿바이」、「사랑의 화살」(オリエント・レコード朝鮮語版)発表
  • 1964年(22歳)- 1965年(23歳):(再)デビュー曲レコード吹き込み - 「두메산골」など6曲(トップ・ヒット・レコード (톱 힛트 레코드))、コンボ・ バンド「ペホと楽団 (배호와 그 악단)」名義
  • 1966年(24歳):腎臓炎発病、「황금의 눈」(地球レコード朝鮮語版)、「홍콩 66번지」(新世紀レコード)発表
  • 1967年(25歳):
    • 「誰か泣いて」、「안개속으로 가 버린 사람」(ニュースター専属)等を病床から発表
    • 「戻る三角地」(アジア専属)発表[3]
  • 1967年 - 1968年(26歳):マスコミ各社の主催行事で歌手賞などを受賞:MBC10大歌手賞(ラジオ)[4]、TBC放送歌謡大賞など。各種の映画にも出演した。
  • 1969年(27歳)- 1970年(28歳):MBC10大歌手賞(テレビ)等(新世紀専属、チグ専属)、歌手活動5年間で合計30余りの部門で各種歌手賞を受賞
  • 1971年7月(29歳):「마지막 잎새」、「영시의 이별」最後のレコード発表

その他

[編集]
  • ペ・ホが「戻る三角地」で歌った三角地(地下鉄三角地駅付近)に建設された三角地ロータリー朝鮮語版という龍山の立替交差点は、歌がヒットした1967年に建設され、1994年に撤去された。現在は、「戻る三角地」の歌碑、ペ・ホギル(ベ・ホ通り)という街路名、ペ・ホの銅像などが残されている。
  • 1971年11月11日、イェチョン会館(예총 회관)で行われた葬式には、簡素な服を着た若い女性が数百メートルも立ち並んだといわれている。
  • 韓国のエルヴィス・プレスリーと称されるほど音楽性をもち、没後の人気もかなり高い歌手である。
  • 韓国国内では、全国に四基の歌碑が建てられている。「戻る三角地」(龍山)、「두메산골」(楊州市の墓碑)、「마지막 잎새」慶州市、「파도」江陵市)。

家族

[編集]

叙勲

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 이상국. “[그때 오늘 ‘흐느끼며 떨어지는 마지막 잎새’ 요절 예고한 ‘배호 사망설’ 소동]”. 2016年11月15日閲覧。
  2. ^ 배호는 '삼각지'의 유래를 알았을까?”. OhmyNews (2006-08-29lauthor=이순우(takehome)). 2016年12月13日閲覧。
  3. ^ 音楽チャート史上記録まれな、20週以上連続のチャート首位となった。
  4. ^ 歌手史上まれな、初めてのヒット曲1位が4ヶ月に及んだとして、10大歌手のひとりに選定。

関連項目

[編集]