裴旻
表示
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2020年5月) |
裴 旻(はい びん)は中国の剣術家、唐代文宗朝に仕えた剣士。武官として龍華軍使に至り、北平の守備に当たった。剣舞の技が非常に高名で、文宗の時、詔して李白の歌詩、裴旻の剣舞、張旭の草書を以て三絶と為す。
当時幽州都督(今の北京市あたりを所管した総督)・孫佺が北の方、後の満州方面に奚族を討伐したとき、奚の囲むところと為る。軍を分断され、本陣が奚族に包囲される絶体絶命の状況に陥ってしまった。奚族と四方から矢を射かけたが、裴旻は剣舞しつつ、雨と降る矢をその刀で次々と叩き落としたのだった。これには奚族も大いに驚き、撤退してしまった。ために唐軍は殲滅の憂き目を免れたのであった。
開元13年(725年)、玄宗の泰山封禅に同道し、そこで、張旭と呉道子会った。裴旻は呉道子の画芸を敬慕していたことから、ついに彼に請うて天宮寺に鬼神を描き、死者が亡霊とならないよう多くの銭や帛を送ってたのんだ。呉道子はその銭帛を返して次のようにいった。ここにおいて、裴旻は喪服を脱ぎ捨て剣をもって舞い始めた。その姿は、走馬が飛ぶ如く、左に旋回し右に転じ、きらめく剣は雲に入り、高さ数十丈、電光の如く下を射った。裴旻は手を引いて鞘を取ってこれを受け、剣は室内と人々を透過して、見る者は数千人、驚愕しない者はなかった。呉道子はここにおいて筆をもって壁に向かって描いたが、颯然として風は起こり、天下の壮観であった。呉道子の生み出した絵は、ここにおいて意を得たのである。
参考文献
[編集]- 「新唐書」巻202「李白伝後段」
- 「図画見聞志・巻一」