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裳懸景利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
裳懸景利
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:采女正
主君 小早川隆景
氏族 裳懸氏
父母 父:裳懸盛聡
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裳懸 景利(もかけ かげとし)は、戦国時代武士小早川氏の家臣。

略歴

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正応元年(1288年)、竹原小早川氏の初代・小早川政景備前国裳懸庄[1]地頭職を賜り、代々その地を受け継いでいくこととなる。その地を治めるため現地に赴いた竹原小早川氏の家臣、もしくは庶流家が、後に現地の地名をとって姓とした一族が裳懸氏である。その後、竹原小早川氏は裳懸庄を手放し、この時、裳懸氏安芸国へ撤収している。

裳懸河内守盛聡(もりとし)の子として誕生。小早川隆景の代に活動し、その偏諱を受けて景利と名乗る。

永禄4年(1561年)、景利は毛利元就隆元父子が小早川隆景の居城・新高山城を訪問した際、父・裳懸盛聡と共に召しだされ、杯を受けている。

出典

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  1. ^ 岡山県瀬戸内市邑久町虫明裳掛地区。