衣川廃寺跡
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衣川廃寺跡(きぬがわはいじあと)は、滋賀県大津市衣川2丁目にある古代寺院の遺跡。1977年3月8日に国の史跡に指定された。
概要・立地
[編集]衣川廃寺は、琵琶湖の幅がもっとも狭隘になる付近、志賀丘陵の先端部にあり、丘陵の尾根を削平・盛土して整地して寺地としている。寺地は標高100メートル前後、付近の水田との比高3メートルほどに位置する[1][2]。
寺は7世紀半ばすぎ、飛鳥時代後期の建立とみられ、近江最古の寺院の一つであるが、2棟の建物跡が残るのみであり、伽藍は未完成である。立地や出土瓦の文様等から、和邇氏所縁の寺とみられるが、近江大津宮の廃都(672年)とともに伽藍造営が中断されたものとみられる[1][2]。
遺構・遺物
[編集]東方建物跡は、一辺9メートル、高さ1.06メートルの版築基壇が残る。基壇が正方形であるところから塔跡とみられるが、基壇上には礎石を据えた痕跡が見当たらない[1][2][3]。
北方建物跡は金堂とみられ、東西18メートル以上、南北15メートル、高さ1.3メートルの基壇がある。基壇上には礎石や根石が若干残る[1][2]。
寺跡から出土する軒瓦の文様は6種に分類される。短期間で造営を中止した寺院にしては、瓦の種類が多いことが特色である[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課『滋賀県文化財学習シート:衣川廃寺跡』滋賀県総合教育センター、2004年。
- 滋賀県総合教育センターサイトからダウンロード可。
- 財団法人滋賀県文化財保護協会『財団法人滋賀県文化財保護協会紀要1』財団法人滋賀県文化財保護協会、1988年。
- 細川修平「衣川廃寺の再検討」『財団法人滋賀県文化財保護協会紀要1』1988年、49-65頁。 (参照:[2])