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衛演

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

衛 演(えい えん、生没年不詳)は、中国三国時代の人物。公孫淵配下。

生涯

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魏の臣下であった公孫淵が、「燕王」を自称した際に侍中として名が挙がっている。公孫淵が反旗を翻し司馬懿の遠征を受けたため、人質を出す条件で降伏を願う使者として遣わされたが、司馬懿は聞き入れず追い返した[1]

小説『三国志演義』でもほぼ同様のやり取りが描かれている[2]

参考文献

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脚注

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  1. ^ ウィキソース出典 晉書 卷一帝紀第一 (中国語), 晉書/卷001#宣帝, ウィキソースより閲覧。  - 文懿復遣侍中衞演乞剋日送任。帝謂演曰:「軍事大要有五,能戰當戰,不能戰當守,不能守當走,餘二事惟有降與死耳。
  2. ^ ウィキソース出典 三國演義 第百零六回 公孫淵兵敗死襄平 司馬懿詐病賺曹爽 (中国語), 三國演義/第106回, ウィキソースより閲覧。  - 又遣侍中衛演來到魏營。司馬懿升帳,聚眾將立於兩邊。演膝行而進,跪於帳下,告曰:「願太尉息雷霆之怒。剋日先送世子公孫修為質當。然後君臣自縳來降。」懿曰:「軍事大要有五:能戰當戰,不能戰當守,不能守當走,不能走當降,不能降當死耳。何必送子為質當?」叱衛演回報公孫淵。演抱頭鼠竄而去,歸告公孫淵。