行心
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行心(ぎょうしん/こうじん、生没年不詳)は、飛鳥時代の僧。新羅からの渡来人。
記録
[編集]『日本書紀』巻第三十によると、朱鳥元年(686年)10月の大津皇子の謀反の企みに加担したとして30余人が捕縛され、行心もその一人であったが[1]、彼らの多くは大津に縁坐したものとして赦免され、行心も罪するには忍ばずとして、飛騨国の伽藍に移された、とある[2]。
『懐風藻』によると、天文・卜筮を解したとされ、大津皇子に「太子の骨法これ人臣の相にあらず、これをもって久しく下位に在るは恐らくは身を全うせざらん」と告げて逆謀を勧めた、とあり、「姧豎」(かんじゅ)と罵られている[3]。
『続日本紀』巻第二に現れる僧の隆観は、「流僧(るそう)幸甚が子なり」とあるが、「幸甚」は「行心」ではないか、とされている[4]。