行岡忠雄
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行岡 忠雄(ゆきおか ただお、1901年(明治34年)2月18日 - 1974年(昭和49年)4月27日)は、日本の医師、医学博士、柔道整復師。
略歴
[編集]大阪医科大学(現・大阪大学医学部)卒[1]。日本初[2] の柔道整復師養成施設である大阪接骨学校(昭和7年)と、行岡外科病院(大阪接骨学校附属行岡外科病院)(昭和9年)を設立する。
大阪府柔道整復師会[3] 会長(1933年、1957年5月[2])、社団法人 大阪府医師会会長(1954年4月)、大阪府保険医協会理事長(1953年4月)、大阪市会議員(1951年以降連続6期)などを歴任。
大阪接骨学校(現:行岡医学技術専門学校・大阪行岡医療専門学校長柄校)の創設者。
1974年大阪市議のまま急性心不全のため、阪大病院で死去[4]。
受賞
[編集]保健衛生功労者として藍綬褒章[5][6](1964年11月)、
教育医療功績者として勲四等旭日小綬章(1972年4月)を叙勲される[5][6]。