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蟹養斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蟹養斎(かにようさい、宝永2年(1705年) - 安永7年8月14日1778年10月4日))は、江戸時代の崎門派の儒家。名は維安、は子定、通称は佐左衛門、別の号は東溟[1]

人物

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生誕地は阿波国とも安芸国ともいい、詳細は不明[2]。6歳のとき、尾張国に移り、布施氏の元で育った[2]。21歳のとき、京都三宅尚斎に学ぶ[2]。名古屋で私塾を開き、尾張藩から5人扶持を与えられる[1]寛延元年(1748年)に至って、私塾の巾下学問所を設けた[2]。経営難のため宝暦元年(1751年)に学問所を閉じ、尾張の地を離れている[2]。各地を転々とした後に伊勢国浦田で病没した[1]

著作

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  • 『崎門読書法』[2]
  • 『論語講義』[2]

脚注

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参考文献

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  • 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』角川書店、1991年10月30日。ISBN 4-04-002230-0