蛙石
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蛙石(かわずいし)とは、神奈川県小田原市浜町4丁目35番地にある北条稲荷の末社、およびその御神体の石である。
概要
[編集]神奈川県小田原市山王の北条稲荷の末社の一つとして、蛙石明神として崇められてきた。蛙石という名称は、その形がカエルに似ているところからきている。大きさは、全長80 cm・幅30 cm・高さ40 cm程度。もともと小田原城内にあった北条稲荷とともに400年ほど前にこの地に移されたとされるが、明治35年の小田原大海嘯においても少しも移動せず、3メートルほど掘り起こしてみても下部に達しなかったことから天然岩盤の露出だと推測される。小田原市の市制50周年記念のときめき小田原夢まつりでは、蛙石鳴き声コンテストが開催された。
言い伝え
[編集]小田原の危機の際には、必ず鳴くといわれており、小田原城落城、江戸時代の2回の震災、明治の小田原大海嘯、大正の関東大震災、昭和の小田原空襲の前夜にも盛んに鳴いたとされる。都路往来にでてくる「蛙鳴くなる小田原の里[注釈 1]」は蛙石を指している。
注釈
[編集]- ^ 時へて咲くや江戸の花、波静かなる品川や、やがて越え来る川崎の、軒端ならぶ神奈川は、はや程ケ谷のほどもなく、暮れて戸塚に宿るらん。紫匂う藤沢の、野面に続く平塚も、元の哀れは大磯か、蛙鳴くなる小田原は、箱根を越えて伊豆の海、三島の里や神垣や、宿は沼津のまこと草、さらでも原の霧拂う。 富士の嶺近き吉原と、 共に語らん蒲原や、安らう宿の由井なると、思い興津に焼く塩の、後は江尻の朝ぼらけ、今日は駿河の国府行く。暮れに数ある鞠子とは、渡る岡部の蔦の道、千歳の松の藤枝よ、よしや島田の大井川、渡る思いは金谷とて、照る日光は、日坂に賑わう里の掛川と、かけて袋井吹く風の、登る見付の八幡とは、浜松ケ枝の年久し。 日暮し頃に舞坂を、遠ち近ち過ぐる新居の磯、袖に浪越す白須賀も、もとより名のみ二川や、浦吹く風の吉田こそ、思い知られし御油の里。とけにし花も赤坂の野田にやまさる藤川を、岡崎の宿いかならむ。 結ぶ池鯉鮒のかりの夢、醒むる波間の鳴海潟、ただ此処もとに熱田の宮、八十うち渡る桑名の海、道の行くへは四日市誓いも堅き石薬師、庄野の宿り、これぞよと、齢久しき亀山と、遂ぐる人なき関ならじ。 賎が家並ぶ坂下、誰が土山に座せしめん。降れたる霧の水口に、濁らぬ末の石部かな。 野辺は緑ぞ草津わけ、実にも守りは大津とは、花の錦の九重に、心浮き立つ都ぞと、君の寿祝いたり、目出度たかしく。