蛍橋駅 (台北市)
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蛍橋駅 | |
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螢橋 インチャオ Yingchiao (Yingqiao)[注釈 1] | |
◄和平 (0.8 km) (0.7 km) 古亭► | |
所在地 | 台湾台北市古亭区(現在の中正区汀州路三段付近) |
所属事業者 | 台北鉄道→台湾鉄路管理局 |
等級 | 三等站 |
種別 | 廃駅 |
所属路線 | ■新店線 |
キロ程 | 1.9 km(万華起点) |
電報略号 | ㄧㄑㄠ |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1921年1月22日 |
廃止年月日 | 1965年3月25日 |
蛍橋駅 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 螢橋車站 |
簡体字: | 萤桥车站 |
拼音: | Yíngqiáo Chēzhàn |
通用拼音: | Yíngciáo Chējhàn |
注音符号: | ㄧㄥˊ ㄑㄧㄠˊ ㄔㄜ ㄓㄢˋ |
ラテン字: | Ying ch'iao ch'ê chan |
発音: | インチャオ チャーヂャン |
台湾語白話字: | Êng-kiô Chhia-thâu |
日本語慣用読み: | ほたるばしえき |
英文: | Yingchiao Station |
蛍橋駅(インチャオえき、ほたるばしえき)は台湾台北市古亭区(現在の中正区)にあった台湾鉄路管理局新店線の廃駅。現在の汀州路二段と重慶南路三段および廈門街の交差する付近に位置していた[1]。
近辺では夏季に蛍の大群が現れ、日本人が蛍狩りをしていたことから、そこに架かっていた木造橋(現存しない)を住民が蛍橋と呼ぶようになったことが駅名の由来で、その後開発が進んで蛍もみられなくなったが、地名としては現在も公共施設名などにその名が残されている[2]。
歴史
[編集]- 1921年(大正10)1月22日 - 台北市川端町に『蛍橋駅』として開業[3][4]。
- 1949年6月1日 - 台湾鉄路管理局が台北鉄道公司を買収、公営路線となる[5]。
- 1965年3月25日 - 廃止[6]。
廃止前の利用状況
[編集]各年の乗降客数は以下の通り。
年度 | 年間 | 1日平均 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
乗車 | 下車 | 乗降車計 | 出典 | 乗車 | 乗降車 | |
資料なし | ||||||
1928年度 | 52,738 | 51,648 | 104,386 | [7] | 144 | 286 |
1929年度 | 62,543 | 49,585 | 112,128 | 171 | 307 | |
1930年度 | 43,611 | 44,927 | 88,538 | 119 | 243 | |
1931年度 | 50,965 | 49,585 | 100,550 | 139 | 275 | |
1932年度 | 66,576 | 65,268 | 131,844 | 182 | 361 | |
資料なし |
[注釈 2]年 | 旅客乗降(人) | 貨物積卸(t) | ||
---|---|---|---|---|
年間計 | 日平均 | 年間計 | 日平均 | |
1946年 | 資料なし | |||
1947年 | 資料なし | |||
1948年 | 資料なし | |||
1949年 | 169,971 | 466 | 3,295 | 9.0 |
1950年 | 425,270 | 1,165 | 3,294 | 9.0 |
1951年 | 524,270 | 1,436 | 2,854 | 7.8 |
1952年 | 719,792 | 1,967 | 3,233 | 8.8 |
1953年 | 666,094 | 1,825 | 2,354 | 6.4 |
1954年 | 751,553 | 2,059 | 4,459 | 12.2 |
1955年 | 816,314 | 2,236 | 2,436 | 6.7 |
1956年 | 878,790 | 2,401 | 3,428 | 9.4 |
1957年 | 811,355 | 2,223 | 623 | 1.7 |
1958年 | 564,552 | 1,547 | 245 | 0.7 |
1959年 | 485,800 | 1,331 | 202 | 0.6 |
1960年 | 430,320 | 1,176 | 108 | 0.3 |
1961年 | 418,502 | 1,147 | 104 | 0.3 |
1962年 | 310,537 | 851 | 265 | 0.7 |
1963年 | 241,941 | 663 | 90 | 0.2 |
1964年 | 218,280 | 596 | 199 | 0.5 |
1965年 | 資料なし |
駅周辺
[編集]- 中正橋(戦前の川端橋)
- 台北市立蛍橋国民小学 - かつて線路があった汀州路側の外塀に列車のイラストをあしらっている[9]。
- 経済部庁舎
- 中華郵政蛍橋郵局
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 臺北市路街史 第五章 各區路街現況概述 第三節 古亭區. 臺北市文獻委員會. p. 135 2019年2月17日閲覧。 黃淑清 (1985-04).
- ^ 沿著鐵道聽故事 萬新鐵路的前世今生”. 新北市政府. pp. 51. 2019年2月17日閲覧。 新北市文化 季刊 No.30 何文賢 (2018年12月). “
- ^ 官報第2627号 台湾総督府告示第9号 臺北鐵道株式會社鐵道萬華公舘間運輸營業開始許可. (1921-01-23) 2019年2月9日閲覧。 国立国会図書館
- ^ 台湾総督府交通局鉄道年報. 第40 (昭和13年度). 台湾総督府交通局鉄道部. (1939-12-20). p. 325 2019年2月17日閲覧。 国立国会図書館
- ^ 搶救新店線鐵道記憶 2004-09-22,時報悅讀網:洪致文的鐵道世界
- ^ 簡介與大事紀 - ウェイバックマシン(2018年5月3日アーカイブ分)
- ^ 臺北市役所 (1934-03-19). 昭和七年臺北市統計書. 臺北市役所. pp. 132-133 国家図書館
- ^ 臺北市志 卷六經濟志交通篇 第四章、光復以後 第五項、鐵路 第三目、客貨運. 臺北市文獻委員會. (1988-12). pp. 240-241 2019年2月16日閲覧。
- ^ 「萬新鐵路」踏查有感 2014-05-25,新店文史館