蛇窪神社
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天祖神社(蛇窪神社) | |
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鳥居と拝殿 | |
所在地 | 東京都品川区二葉4-4-12[1] |
位置 | 北緯35度36分9.3秒 東経139度42分54.7秒 / 北緯35.602583度 東経139.715194度座標: 北緯35度36分9.3秒 東経139度42分54.7秒 / 北緯35.602583度 東経139.715194度 |
主祭神 |
天照大神 応神天皇 天児屋根命[1] |
社格等 | 村社[2] |
創建 | 鎌倉時代・1323年頃[3] |
別名 | 蛇窪神社 |
札所等 | 荏原七福神 弁財天 |
例祭 | 9月15日に近い土・日 |
蛇窪神社(へびくぼじんじゃ)は、東京都品川区二葉にある神社。登記上の宗教法人名称は天祖神社(てんそじんじゃ)。2019年(令和元年)5月1日より別称の蛇窪神社を通称表記へ格上げしている。
由緒
[編集]創建は鎌倉時代の文永8年(1271年)に北条重時の五男・時千代が、仏門に入り法圓上人となり、大森(現在の大田区)に厳正寺を開き、その家臣が蛇窪(現在の当地付近)に住み着いた[3][2][注釈 1]。後の元亨2年(1322年)に厳正寺の僧侶が池の竜神へ雨乞いの祈願したところ、慈雨が降ってきたのでそれに感激した時千代の旧臣らが当地にも神社を勧進し祀ったというのが始まりであるという[2][3][注釈 1]。
当時は神明社と称していたが、村社に昇格した際に「天祖神社」に改名した[3]。2019年(令和元年)5月1日、御大典にあわせて近年から別称として使用していた「蛇窪神社」を通称表記に格上げした[3]。
社殿等は第二次世界大戦による戦災で焼失し現在のものは1961年(昭和36年)に再建されたもの。また荏原七福神のひとつとして弁財天を祀っている。
祭神
[編集]- 主神
- 配祀
境内社
[編集]兼務社
[編集]天祖神社(蛇窪神社)宮司の兼務社は以下の通り。
アクセス
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 「第壱篇 郷土 二、各部 四、上明神の部 ロ、主なる社寺 天祖神社」『荏原区史』東京市荏原区、1943年。NDLJP:1042115/81。
- “天祖神社【神明さま】”. 東京都神社庁. 2020年6月17日閲覧。
- 「上蛇窪村 神明社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ53荏原郡ノ15、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763982/65。
外部リンク
[編集]- “除災招福総鎮護 東京の白蛇様 蛇窪神社”. 蛇窪神社. 2020年6月17日閲覧。
- 蛇窪神社(天祖神社) (@kamisinmeitenso) - X(旧Twitter) - 蛇窪神社公式アカウント
- 蛇窪神社(天祖神社)-facebook-蛇窪神社公式アカウント
- 巫女へび (@http_hebimiko) - X(旧Twitter) - 蛇窪神社公式巫女アカウント
- 太田神社 宮司 一願必中 (@ichiganhicchu) - X(旧Twitter) - 太田神社公式アカウント
- しながわ観光協会
- 東京福めぐり-facebook