虞察
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虞 察(ぐ さつ、生没年不詳)は、中国三国時代の呉・西晋の政治家・武将。揚州会稽郡余姚県の人。
生涯
[編集]虞翻の一族で、虞汜・虞忠・虞聳・虞昺らの族子にあたる[1]。
呉の時代には征虜将軍であった。呉の滅亡時には、場所は不明だが厳重に城を守り、呉の降伏後には降伏して国に殉ずることをしなかったという。
一族の虞聳は有能な人物を推挙する際、まだ名が知られておらず、後ろ盾のないような家柄の者を対象とした。彼のやり方に虞聳の兄[2]の友人の王岐が異を唱え、高士というのは必ず群を抜いた才能を示すものだから、有能な人物が無名であるはずがないと主張した。
これを聞いた虞聳は、族子の虞察に宛てた手紙の中でこう述べた。
「現在の人材登用は、田舎にあってまだ人々から認められていない者を招いたり、数多くの中から才能のある者を捜すことがない。褒めたたえるのはすでによい評価を受けている者ばかりで、けなすのもすでに悪い評価を受けている者ばかりだ。このようなありさまだから、いつも私はため息をつくことになるのだ。」[3]。
虞察は西晋には仕えないで郷里に戻り、子供たちの教育に力を注いだという。
子孫
[編集]家系図
[編集]虞光 | 虞成 | 虞鳳 | 虞歆 | 虞翻 | 虞汜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
虞忠 | 虞𩦎[ft 1] | 虞谷 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
虞潭[ft 2] | 虞仡 | 虞嘯父 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
虞聳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
虞昺 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
虞察[ft 3] | 虞喜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
虞預[ft 4] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考文献
[編集]- 『晋書』巻91