蘆野胤恭
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蘆野 胤恭(あしの たねやす、宝暦10年(1760年) - 天保3年閏11月18日(1833年1月8日))は、江戸時代後期の仏師。江戸時代中期の儒学者で仙台藩士の蘆野東山の甥[1]。通称は正太郎[1]。
陸奥磐井郡渋民村[2]出身の人物[1]。天明7年(1787年)より朝廷に仕え、仁和寺の仕事に従事し、法眼の称号を授かった[1]。
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