藪孤山
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藪 孤山(やぶ こざん、享保20年閏3月27日(1735年5月19日) - 享和2年4月20日(1802年5月21日)[1][2])は、江戸時代中期の儒学者。肥後国の人。江戸と京都で遊学した後、熊本藩校時習館で教える。第2代時習館教授(学長)[3]。名は愨。字(あざな)は士(子)厚。通称は茂二(次)郎。
生まれ
[編集]享保20年(1735年)閏3月27日、肥後国飽託郡富尾村(現・熊本県熊本市)生まれ[1]。儒学者・藪慎庵(やぶ しんあん)の次男。
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藪孤山の思想
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編著書
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 「藪孤山」熊本日日新聞社編纂・発行『熊本県大百科辞典』、1982、832頁
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク)
- ^ 「時習館」熊本日日新聞社編纂・発行『熊本県大百科辞典』、1982、401頁
- ^ 頼惟勤・磯安代・保科栄子校注で『日本思想大系37 徂徠学派』岩波書店 に収録
- ^ “藪孤山(朝日日本歴史人物事典・kotobank)”. 2018年8月2日閲覧。