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藪上敏夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藪上 敏夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 日本の旗 日本和歌山県紀の川市
生年月日 (1951-05-10) 1951年5月10日(73歳)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1969年 ドラフト4位
初出場 1971年
最終出場 1971年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

藪上 敏夫(やぶかみ としお、1951年5月10日 - )は、和歌山県紀の川市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手

来歴・人物

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和歌山県立向陽高等学校では、エースとして1968年秋季近畿大会県予選決勝に進み、箕島高島本講平に投げ勝つ。近畿大会では準決勝で山本功児淡口憲治のいた三田学園に敗れるが、翌1969年春の選抜への出場を決める。しかし選抜では1回戦で三重高上西博昭に抑えられ敗退[1]。同年夏の甲子園県予選では、準決勝で箕島高の島本に完封を喫し、甲子園出場はならなかった。1年下のチームメートに遊撃手林正広がいた。

1969年のドラフト会議で南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)から4位指名されるが、社会人野球の新日鐵広畑に進む。しかし球団の説得により翌年のドラフト交渉期限前に入団。1971年には中継ぎで10試合に登板するが、1972年限りで引退。

右の本格派でスライダー、カーブ、シュートを武器とし、制球は良いが球威に欠けていた。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1971 南海 10 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 72 17.0 16 2 4 0 1 8 1 0 5 3 1.59 1.18
通算:1年 10 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 72 17.0 16 2 4 0 1 8 1 0 5 3 1.59 1.18

背番号

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  • 36(1971年 - 1972年)

脚注

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  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目

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外部リンク

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