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藤田宗兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤田 宗兵衛(ふじた そうべえ、安永9年(1780年) - 天保14年3月5日1843年4月4日))は、江戸時代後期の一揆指導者[1][2]

経歴・人物

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近江甲賀郡宇田村(現:滋賀県甲賀市水口町宇田)の庄屋[1][3]

天保13年(1842年)、江戸幕府勘定方市野茂三郎による検地増徴に反対し、野洲・甲賀・栗太3郡の農民約1万2000人が蜂起した近江天保一揆(甲賀一揆)を、弟の宗三郎とともに指導した[1][3][2]。検地は阻止されたが、宗兵衛は同志の土川平兵衛らと共に捕えられ[1][3]、宗三郎は先に大津で獄死し[2]、宗兵衛はのち江戸へ護送中に石部宿で病死した[1][2][3]。享年64。

脚注

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  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『藤田宗兵衛』 - コトバンク
  2. ^ a b c d 近江人物志. 滋賀県教育会. (1917). pp. 615-616. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1880402/351 
  3. ^ a b c d 日本大百科全書(ニッポニカ)(小学館)『藤田宗兵衛』 - コトバンク