藤波重次
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藤波 重次(ふじなみ しげつぐ、1915年 - 1979年)は、日本の宇宙物理学者、天文学者、写真工学者。
経歴
[編集]京都大学宇宙物理学教室で助教授を務めた後、1972年に京都工芸繊維大学へ移籍して写真工学の教授を務める。愛煙家であり、この頃から咽頭がんを患うが、1974年にはオーストラリアで観測される皆既日食の撮影隊を率いて渡航した。1979年に死去[1][2]。晩年にかけて写真を使った計測方法、天体写真の撮影方法などの技術書、星座の写真集などを多数著した[3]。
著書
[編集]- 『写真技術』共立出版(1963年)全国書誌番号63005497
- 『小型カメラによる天体写真』共立出版(1964年)
- 『小型カメラの撮影技術』共立出版(1965年)全国書誌番号65011003
- 『星座写真集 写真による星座の観賞と学習』共立出版(1967年)全国書誌番号67007637
- 『天体写真集』共立出版(1968年)全国書誌番号68010217
- 『高等写真技術』共立出版(1973年)全国書誌番号75050448
- 『写真計測法』共立出版(1977年)全国書誌番号78001435
脚注
[編集]- ^ 川井誠一 (1979年). “藤波先生の思い出”. 天文月報 1979年9月. 2020年10月5日閲覧。
- ^ 「豪での皆既日食観測 藤波教授ら出発」『朝日新聞』昭和49年(1979年)6月17日夕刊、3版、11面
- ^ “波 重次 (1915-1979)”. Webcat Plus. 2020年10月5日閲覧。