コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

一関市立新沼小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤沢町立新沼小学校から転送)
一関市立新沼小学校
校舎・体育館外観(2023年10月)
地図北緯38度53分20.41秒 東経141度20分34.03秒 / 北緯38.8890028度 東経141.3427861度 / 38.8890028; 141.3427861座標: 北緯38度53分20.41秒 東経141度20分34.03秒 / 北緯38.8890028度 東経141.3427861度 / 38.8890028; 141.3427861
過去の名称 第7大学区第20中学区新沼小学
八沢村立新沼尋常小学校
八沢村立新沼尋常高等小学校
八沢村立新沼国民学校
八沢村立新沼小学校
藤沢町立新沼小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 八沢村(1875年 - 1955年)
藤沢町(1955年 - 2011年)
一関市(2011年 - 2023年)
設立年月日 1873年5月3日
閉校年月日 2023年3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B103220900249 ウィキデータを編集
校地面積 15,336 m2[1]
校舎面積 普通教室棟:1,260 m2[2]
特別教室棟:600 m2[2]
所在地 029-3402
岩手県一関市藤沢町新沼字関田51-2
外部リンク 公式サイト(edumap)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

一関市立新沼小学校(いちのせきしりつ にいぬましょうがっこう)は、岩手県一関市藤沢町にあった公立小学校。略称は新小(にいしょう)。

概要

[編集]

学制の発布により1873年に開校し、児童の減少[3]により2023年を以って閉校した小学校である[4]。校名に「新沼」を冠していたのは、開校時この地区一帯が新沼村(1875年廃村)だったことに由来している。藤沢町の中部を占める旧新沼村域は、廃村後は「新沼地区」と称しており、同地区のほぼ全域に加えて砂子田地区と増沢地区の全域を学区としていた[5]

校名は勅令や設置自治体の変遷などによって6回変更しており、移転は1回している。1907年に現在地へ移転するまでは、新沼字関田42番地に校舎を構えていた[6]

校歌は、1961年に制定されたものとそれ以前に制定されたものがある。1961年制定の新校歌は相原清行が作詞し、千葉了道が作曲した。一方の旧校歌は制定時期・作者ともに不明である。歌は新旧ともに3部で構成している[7]

児童数は、記録が残る中では1945年度の403人[8]が最多である。のちに高等科中学校へ改組されたことで減少したものの、1959年度に340人[8]まで増加した。その後は1979年まで減少の一途をたどり、1980年代は再び増加に転じていた[注 1]。2000年代以降に関しては2001年度に76人を記録して以降、10年後(2011年度)には60人[9]、さらに10年後(2021年度)には34人[10]となり、20年間で半減していた。また、2018年度から2021年度にかけては市内の小中学校では最小の在籍数を記録したり、2014年度からは複式学級が発生していた[10][11]

新校舎落成記念として設置した門標(2023年10月)

沿革

[編集]

1873年5月、新沼字関田42番地に開校した第7大学区第20中学区新沼小学が起源となる[4][6]。1947年4月に八沢村立新沼小学校に校名を改称した際に八沢中学校を併設したが、1969年に藤沢町藤沢に所在する藤沢中学校への統合により閉校したため、約20年間の併設と短命であった[12][13]。その後1986年に特別教室棟を、1989年には体育館、2002年には木造2階建ての新校舎を落成した[14]

児童の減少を踏まえ、一関市は2017年度より児童の減少問題ついて保護者や児童に対して話し合う教育環境懇談会を2年間に亘って開催した。その後、本校PTAから一関市教育委員会に対して「一関市立藤沢小学校(一関市藤沢町藤沢)へ統合し、複式学級を解消する」旨の要望書を提出した[15]。要望を受けた市教育委員会は、教育委員を用いた現地調査や意見の交換を重ねた結果をもとに、定例会議にて「藤沢小学校・新沼小学校統合基本方針」を2021年8月に策定した[15][16]。今後数年間の児童数の推計によると、およそ30人台をほぼ横ばいで推移すると見込まれていたが、依然として複式学級の解消には至らない点や、児童数の減少が学校運営に支障を来たしており、修学旅行をはじめとした各種行事の実施が困難な状況下に置かれていた点から2023年4月付で要望通りの藤沢小学校に編入統合することで、現状の問題解決や教育環境の改善が図れるとした。同年9月には統合基本方針をもとに「藤沢小学校・新沼小学校統合に係る地区懇談会」を行い、本校の保護者や学区内の住民からは「開校150周年となる次年度(2024年4月)に統合」や「統合先にて児童の孤立問題」、「スクールバスの運行問題」などの意見が出された[15][3]。同年10月には2回目の懇談会を行い、開校150周年を迎えてからの閉校よりも教育環境の改善を優先といった意見が目立った為、統合基本方針に沿った統合が決定した[17][18]

年表

[編集]

教育目標

[編集]

2022年時点の教育目標[13]

夢のつぼみは光に燃えて、さあ挑戦!
  • 人間性豊かで「に」
  • 命を大切にし「い」
  • ぬくもりあふれる心と「ぬ」
  • 学びの力をもつ子ども「ま」

施設概要

[編集]

主な施設を掲載。

  • 校舎
    • 普通教室棟(1,260 m2[2]) - 2002年落成の木造2階建てで、1966年に落成した鉄筋コンクリート造2階建て校舎の後継にあたる[13][33]。メインの校舎として木造を採用していたのは、2021年時点に設置していた一関市内の小学校では当校のみであった[2]
    • 特別教室棟(600 m2[2]) - 1986年落成の鉄骨造2階建て[2][14]
  • 体育館(650 m2[1]) - 1989年落成の鉄骨造平屋建てで、1957年に落成した屋内体操場(351.18 m2)の後継にあたる[19][2][23]
  • プール - 1973年落成の鋼板造[23]
  • 校庭(5,760 m2[1]
  • 郷土資料館 - 郷土資料室(1968年開設)に置き換わる形で2002年、特別教室棟と体育館の間に落成した。東磐井地方の主産業だった養蚕稲作に関する道具や、明治時代から昭和時代にかけて家庭で使われていた道具を数百点展示していた[34]

児童・学級数

[編集]

1881年度以降の児童数と学級数の推移。

年度 児童数 増減 学級数 増減 出典 備考
1881(明治14)年度 81 不明 [35]
1896(明治29)年度 139 58 2 [36] 児童数は補習科含む
1901(明治34)年度 153 14 2 0 [37][6]
1902(明治35)年度 155 2 3 1 [36]
1903(明治36)年度 174 19 3 0
1904(明治37)年度 162 -12 3 0
1905(明治38)年度 158 -4 3 0
1906(明治39)年度 125 -33 3 0
1907(明治40)年度 133 8 3 0
1908(明治41)年度 142 9 4 1
1909(明治42)年度 192 50 不明 [35] 補習学校併設
1910(明治43)年度 187 -5 5 1 [35][38]
1911(明治44)年度 218 31 不明 [35] 高等科併設
1912(明治45)年度 217 -1
1913(大正2)年度 205 -12
1914(大正3)年度 183 -22
1915(大正4)年度 190 7
1916(大正5)年度 204 14
1917(大正6)年度 209 5
1918(大正7)年度 207 -2 7(2) 2 [35][39]
1919(大正8)年度 217 10 不明 [35]
1920(大正9)年度 207 -10
1921(大正10)年度 225 18
1922(大正11)年度 219 -6 7(2) 0 [35][40]
1923(大正12)年度 218 -1 不明 [35]
1924(大正13)年度 225 7
1925(大正14)年度 228 3 青年訓練所併設
1926(大正15)年度 240 12 5 -2 [35][41]
1927(昭和2)年度 260 20 不明 [35]
1928(昭和3)年度 279 19
1929(昭和4)年度 279 0
1930(昭和5)年度 287 8
1931(昭和6)年度 310 23
1932(昭和7)年度 318 8
1933(昭和8)年度 333 15
1934(昭和9)年度 327 -6
1935(昭和10)年度 356 29 青年学校併設
1936(昭和11)年度 356 0 [8]
1937(昭和12)年度 362 6
1938(昭和13)年度 363 1
1939(昭和14)年度 366 3
1940(昭和15)年度 369 3
1941(昭和16)年度 371 2
1942(昭和17)年度 381 10
1943(昭和18)年度 381 0
1944(昭和19)年度 391 10
1945(昭和20)年度 403 12
1946(昭和21)年度 389 -14
1947(昭和22)年度 289 -100 6・3制施行
1948(昭和23)年度 295 6
1949(昭和24)年度 284 -11 6 1 [8][42]
1950(昭和25)年度 283 -1 不明 [8]
1951(昭和26)年度 278 -5 6 0 [8][43]
1952(昭和27)年度 261 -17 6 0 [8][44]
1953(昭和28)年度 253 -8 6 0 [8][45]
1954(昭和29)年度 257 4 不明 [8]
1955(昭和30)年度 281 24 6 0 [8][46]
1956(昭和31)年度 285 4 6 0 [8][47]
1957(昭和32)年度 308 23 8 2 [8][48]
1958(昭和33)年度 332 24 8 0 [49]
1959(昭和34)年度 340 8 8 0 [8][50]
1960(昭和35)年度 338 -2 9 1 [8][51]
1961(昭和36)年度 335 -3 9 0 [8][52]
1962(昭和37)年度 309 -26 8 -1 [8][53]
1963(昭和38)年度 277 -32 7 -1 [8][54]
1964(昭和39)年度 259 -18 7 0 [8][55]
1965(昭和40)年度 235 -24 7 0 [8][56]
1966(昭和41)年度 219 -16 6 -1 [8][57]
1967(昭和42)年度 204 -15 6 0 [58]
1968(昭和43)年度 191 -13 6 0 [59]
1969(昭和44)年度 183 -8 6 0 [60]
1970(昭和45)年度 174 -9 6 0 [61]
1971(昭和46)年度 166 -8 6 0 [62]
1972(昭和47)年度 156 -10 不明 [8]
1973(昭和48)年度 144 -12 6 0 [63]
1974(昭和49)年度 138 -6 6 0 [64]
1975(昭和50)年度 126 -12 6 0 [65]
1976(昭和51)年度 115 -11 6 0 [66]
1977(昭和52)年度 100 -15 6 0 [67]
1978(昭和53)年度 97 -3 6 0 [68]
1979(昭和54)年度 93 -4 6 0 [69]
1980(昭和55)年度 100 7 6 0 [70]
1981(昭和56)年度 110 10 6 0 [71]
1982(昭和57)年度 129 19 6 0 [72]
1983(昭和58)年度 134 5 6 0 [73]
1984(昭和59)年度 137 3 6 0 [74]
1985(昭和60)年度 142 5 6 0 [75]
2000(平成12)年度 74 -68 6 0 [76]
2001(平成13)年度 76 2 6 0 [77]
2002(平成14)年度 69 -7 6 0 [78]
2003(平成15)年度 72 3 6 0 [79]
2004(平成16)年度 64 -8 6 0 [80]
2005(平成17)年度 66(2) -6 7(1) 1 [81] 特別支援学級設置
2006(平成18)年度 67(1) 1 7(1) 0 [82]
2007(平成19)年度 62(1) -5 7(1) 0 [83]
2008(平成20)年度 66(1) 4 7(1) 0 [84]
2009(平成21)年度 67(1) 1 7(1) 0 [85]
2010(平成22)年度 63 -4 6 -1 [86]
2011(平成23)年度 60 -3 6 0 [9]
2012(平成24)年度 57 -3 6 0 [10]
2013(平成25)年度 51 -6 6 0
2014(平成26)年度 46(2) -5 6(1) 0 複式学級設置
2015(平成27)年度 46(2) 0 6(1) 0
2016(平成28)年度 39(2) -7 5(1) -1
2017(平成29)年度 29(2) -10 4(1) -1
2018(平成30)年度 26(1) -3 5(1) 1
2019(令和元)年度 35(3) 9 5(1) 0
2020(令和2)年度 36(2) 1 5(1) 0
2021(令和3)年度 34(2) -2 6(2) 1
2022(令和4)年度 36(2) 2 6(2) 0 閉校
※児童数・学級数内の括弧は、
1918・22年度は高等科分(内数)、2005年度以降は特別支援児童・学級数(内数)。

学区

[編集]
  • 一関市藤沢町
    • 砂子田
    • 増沢
    • 新沼(一部)

出典[5]

進学先の中学校

[編集]
  • 八沢村立八沢中学校新沼分教室(八沢村新沼) - 1947年度から1949年度[24]
  • 藤沢町立八沢中学校(藤沢町新沼) - 1950年度から1968年度[87]
  • 藤沢町立藤沢中学校八沢校舎(藤沢町新沼) - 1969年度から1971年度[88]
  • 一関市立藤沢中学校(藤沢町藤沢) - 1972年度[注 2]以降[5]

アクセス

[編集]

新沼字関田の高台、一関市立新沼保育園そばに位置していた。

自動車

[編集]

周辺

[編集]
  • 新沼コミュニティセンター
  • 一関市立新沼保育園
  • JAいわて平泉 藤沢営農経済センター

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 詳細は「#児童・学級数」を参照
  2. ^ 1971年11月に藤沢中学校の校舎を落成[89]するまでは、八沢校舎が進学先だった。その為、1970年度卒業生(1971年度入学生)は八沢校舎へ進学した[88]

出典

[編集]
  1. ^ a b c いちのせきの教育2022 - はじめに・教育行政”. 一関市ホームページ. 一関市. p. 15 (2022年). 2023年1月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 一関市学校施設長寿命化計画”. 一関市ホームページ. 一関市. p. 6 (2021年3月). 2023年1月12日閲覧。
  3. ^ a b c 新沼小、藤沢へ統合へ 市教委 複式解消要望受け【一関】」『岩手日日』2021年9月19日。2023年1月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e 地域を歩んだ校史 胸に 2小中で閉校式【一関】」『岩手日日』2023年3月14日。2023年3月15日閲覧。
  5. ^ a b c 一関市立小中学校に就学すべき者の学校の指定に関する規則”. 一関市例規集. 2022年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月4日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 122.
  7. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 123–124.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 131.
  9. ^ a b 学校一覧 平成23年度”. 岩手県. p. 31. 2023年1月11日閲覧。
  10. ^ a b c 一関市立新沼小学校 - 学年別の児童数・学級数”. Gaccom. 2023年1月11日閲覧。
  11. ^ 学校一覧 令和4年度”. 岩手県. p. 26. 2023年1月12日閲覧。
  12. ^ 58_01.pdf”. いわて平泉農業協同組合 (2018年12月). 2023年1月12日閲覧。
  13. ^ a b c d いちのせきの教育2022 - 学校教育1”. 一関市ホームページ. 一関市. p. 43 (2022年). 2023年1月12日閲覧。
  14. ^ a b c d e f 新沼小学校”. 一関市ホームページ. 一関市. 2016年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月12日閲覧。
  15. ^ a b c d e 20210928-163808.pdf”. 一関市ホームページ. 一関市. 2023年1月12日閲覧。
  16. ^ a b 藤沢地域の学校統合関連情報について”. 一関市ホームページ. 一関市. 2023年1月12日閲覧。
  17. ^ a b 新沼小学区で方針決定 23年4月案へ賛同 藤沢との統合【一関】」『岩手日日』2021年10月8日。2023年1月12日閲覧。
  18. ^ a b 20211021-152130.pdf”. 一関市ホームページ. 一関市. 2023年1月12日閲覧。
  19. ^ a b c d 学校概要”. 一関市立新沼小学校. edumap. 2023年1月12日閲覧。
  20. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 122, 126.
  21. ^ a b c d e f g h 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 123.
  22. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 126.
  23. ^ a b c d e f g h i j k 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 127.
  24. ^ a b 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 164–165.
  25. ^ 岩手・一関『ひがしいわいの校歌集』27曲目 一関市立新沼小学校校歌”. トーバン印刷 (2017年1月27日). 2023年1月12日閲覧。
  26. ^ 増沢神楽保存会”. いちのせき市民活動センター. 2023年2月19日閲覧。
  27. ^ 神楽舞納式”. 一関市立新沼小学校. edumap (2023年2月17日). 2023年2月19日閲覧。
  28. ^ a b 交通安全 今後も意識 少年団解団式 新沼小【一関】」『岩手日日』2023年3月1日。2023年3月2日閲覧。
  29. ^ 広報ふじさわ No.624”. 藤沢町. pp. 10-11 (2006年1月). 2011年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月11日閲覧。
  30. ^ 岩手県教育委員会東日本大震災津波記録誌”. 岩手県. p. 245 (2014年3月). 2023年1月12日閲覧。
  31. ^ 20210928-163848.pdf”. 一関市ホームページ. 一関市. 2023年1月12日閲覧。
  32. ^ ありがとう新沼小学校 ~閉校式 お別れのつどい 記念碑除幕式~”. 一関市立新沼小学校. edumap (2023年3月13日). 2023年3月15日閲覧。
  33. ^ 藤沢町議会広報編集特別委員会(編)「活動報告 議員現地視察 木造の温もりふんだんに 新沼小学校校舎改築工事」(ZIP)『ふじさわ議会だより』第3号、2001年11月15日、16頁、2023年6月12日閲覧 
  34. ^ 一関市教育委員会学校教育課 編『シリーズ 今、地域の学校がおもしろい 第4集 学校と地域の昔と今』一関市教育委員会、2014年2月28日、76-77頁。 
  35. ^ a b c d e f g h i j 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 130.
  36. ^ a b 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 122, 130.
  37. ^ 大野清太郎『岩手叢書 第1,2巻』大野清太郎、1903年10月10日、41頁。doi:10.11501/763243https://dl.ndl.go.jp/pid/763243/1/252023年11月11日閲覧 
  38. ^ 帝国小学校名簿』東京書籍商組合、1910年10月、374頁。doi:10.11501/813004https://dl.ndl.go.jp/pid/813004/1/1982023年11月11日閲覧 
  39. ^ 東京書籍商組合『帝国小学校名簿 再版』東京書籍商組合事務所、1919年3月19日、407頁。doi:10.11501/939365https://dl.ndl.go.jp/pid/939365/1/2152023年11月11日閲覧 
  40. ^ 東京書籍商組合『全国小学校名簿』東京書籍商組合事務所、1922年11月25日、444頁。doi:10.11501/939366https://dl.ndl.go.jp/pid/939366/1/2272023年11月11日閲覧 
  41. ^ 帝国地方行政学会『全国学校名鑑 大正15年版』帝国地方行政学会、1926年3月20日、714頁。doi:10.11501/937724https://dl.ndl.go.jp/pid/937724/1/3902023年11月11日閲覧 
  42. ^ 日敎組調査部 編『全国学校名鑑 昭和25年版』文化研究社、1950年6月1日、67頁。doi:10.11501/3033164 
  43. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和26年版』文化研究社、1953年1月7日、67頁。doi:10.11501/3033165 
  44. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和28年版』文化研究社、1953年7月5日、67頁。doi:10.11501/3033355 
  45. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和29年版』文化研究社、1954年7月20日、67頁。doi:10.11501/3041006 
  46. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和31年版』文化研究社、1956年5月25日、77頁。doi:10.11501/3032777 
  47. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和32年版』文化研究社、1957年3月31日、77頁。doi:10.11501/3033356 
  48. ^ 文化研究社編集部『全国学校名鑑 昭和33年版』文化研究社、1958年4月30日、84頁。doi:10.11501/3033357 
  49. ^ 全国学校教育振興会『学校年鑑 1959』山陽社、1958年10月20日、1549頁。doi:10.11501/9524018 
  50. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和35年版』文化研究社、1960年3月30日、84頁。doi:10.11501/3041007 
  51. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和36年版』文化研究社、1961年3月30日、84頁。doi:10.11501/3043685 
  52. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和37年版』文化研究社、1962年4月10日、84頁。doi:10.11501/3043687 
  53. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和38年版』文化研究社、1963年4月10日、84頁。doi:10.11501/3043688 
  54. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和39年版』文化研究社、1964年4月1日、84頁。doi:10.11501/3043689 
  55. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和40年版』文化研究社、1965年3月10日、84頁。doi:10.11501/3043690 
  56. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和41年版』文化研究社、1966年3月1日、84頁。doi:10.11501/3043691 
  57. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和42年版』文化研究社、1967年2月20日、84頁。doi:10.11501/3043692 
  58. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和43年版』文化研究社、1968年1月20日、84頁。doi:10.11501/3043693 
  59. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和44年版』文化研究社、1969年2月15日、84頁。doi:10.11501/9528544 
  60. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和45年版』文化研究社、1970年2月1日、84頁。doi:10.11501/9528545 
  61. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和46年版』文化研究社、1971年2月1日、83頁。doi:10.11501/12245606 
  62. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和47年版』文化研究社、1972年2月1日、83頁。doi:10.11501/12246676 
  63. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和49年版』文化研究社、1974年2月1日、81頁。doi:10.11501/12246885 
  64. ^ 福武書店『全国学校名鑑 昭和50年版』福武書店、1974年10月1日、807頁。doi:10.11501/12244266 
  65. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和50年度』岩手県教育委員会、1975年8月、46頁。doi:10.11501/12114708 
  66. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和51年度』岩手県教育委員会、1976年8月、52頁。doi:10.11501/12109822 
  67. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和52年度』岩手県教育委員会、1977年、48頁。doi:10.11501/12111553 
  68. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和53年度』岩手県教育委員会、1978年、48頁。doi:10.11501/12111552 
  69. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和54年度』岩手県教育委員会、1979年、50頁。doi:10.11501/12111551 
  70. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和55年度』岩手県教育委員会、1980年、56頁。doi:10.11501/12111550 
  71. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和56年度』岩手県教育委員会、1981年、98頁。doi:10.11501/12111632 
  72. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和57年度』岩手県教育委員会、1982年、96頁。doi:10.11501/12111631 
  73. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和58年度』岩手県教育委員会、1983年、94頁。doi:10.11501/12111633 
  74. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和59年度』岩手県教育委員会、1984年、96頁。doi:10.11501/12111494 
  75. ^ 岩手県教育委員会 編『学校一覧 昭和60年度』岩手県教育委員会、1985年、96頁。doi:10.11501/12111488 
  76. ^ 千厩地域の小・中学校”. 岩手県. 2001年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月4日閲覧。
  77. ^ 千厩地域の小・中学校”. 岩手県. 2002年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月4日閲覧。
  78. ^ 千厩地域の小・中学校”. 岩手県. 2003年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月4日閲覧。
  79. ^ 学校一覧 平成15年度”. 岩手県. p. 34 (2003年). 2004年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月4日閲覧。
  80. ^ 学校一覧 平成16年度”. 岩手県. p. 34 (2004年). 2004年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月4日閲覧。
  81. ^ 学校一覧 平成17年度”. 岩手県. p. 36 (2005年). 2007年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月4日閲覧。
  82. ^ 学校一覧 平成18年度”. 岩手県. p. 36. 2023年1月11日閲覧。
  83. ^ 学校一覧 平成19年度”. 岩手県. p. 36. 2023年1月11日閲覧。
  84. ^ 学校一覧 平成20年度”. 岩手県. p. 38. 2023年1月11日閲覧。
  85. ^ 学校一覧 平成21年度”. 岩手県. p. 33. 2023年1月11日閲覧。
  86. ^ 学校一覧 平成22年度”. 岩手県. p. 31. 2023年1月11日閲覧。
  87. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 165.
  88. ^ a b 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 180.
  89. ^ 町づくりの歩み”. 藤沢町. 2007年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月12日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 藤沢町史編纂委員会『藤沢町史 本編 下』藤沢町、1981年3月25日。doi:10.11501/9570523NCID BN04810187 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]