コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤沢翔陵高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤沢商業高校から転送)
藤沢翔陵高等学校
地図北緯35度21分41.5秒 東経139度28分27.4秒 / 北緯35.361528度 東経139.474278度 / 35.361528; 139.474278座標: 北緯35度21分41.5秒 東経139度28分27.4秒 / 北緯35.361528度 東経139.474278度 / 35.361528; 139.474278
過去の名称 藤沢商業学校
藤沢商業高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人藤嶺学園
校訓 信と勇と
設立年月日 1931年
共学・別学 男女別学(男子校)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
商業科
学期 3学期制
学校コード D114320500075 ウィキデータを編集
高校コード 14555G
所在地 251-0871
神奈川県藤沢市善行7-1-3
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

藤沢翔陵高等学校(ふじさわしょうりょうこうとうがっこう)は、普通科商業科を持つ男子のみの私立高等学校。略称は「翔陵」、「藤翔(とうしょう)」。

概要

[編集]

創立1931年。設置者は時宗総本山清浄光寺を母体とする藤嶺学園で、藤嶺学園藤沢中学校・高等学校鵠沼高等学校は兄弟校である。

藤沢商業学校からの伝統としてスポーツや資格取得が盛んである。各検定試験前に講習が開かれる。外部で講座を持つ教員もいる。

沿革

[編集]

(沿革節の主要な出典は公式サイト[1]

  • 1931年昭和6年) - 藤沢商業学校として清浄光寺境内に創立。
  • 1943年(昭和18年) - 時局の要請で藤沢工業学校へ転換。
  • 1945年(昭和20年) - 藤沢商業学校を藤沢工業学校より分割復元。
  • 1947年(昭和22年) - 現在地に移転。
  • 1948年(昭和23年) - 新制度により藤沢商業高等学校(藤商、とうしょう)となる。藤沢工業学校は廃校。
  • 1970年(昭和45年) - 普通科開設。
  • 1992年平成4年) - 普通科に特進コース開設。
  • 1998年(平成10年) - 普通科の生徒数の方が多くなったことから、藤沢翔陵高等学校に校名変更。同時に校章も変更。
  • 2004年(平成16年) - 新総合グラウンド完成。
  • 2008年(平成20年) - 校舎外壁改装工事完了。
  • 2009年(平成20年) - 8月にテニスコート改修。12月には学校グラウンド改修。
  • 2011年(平成23年) - 創立80周年を迎えた。

部活動

[編集]
  • 野球部が1973年に夏の甲子園に出場。1回戦、藤沢商5 - 2萩商。2回戦、藤沢商0 - 1盛岡三。近年の最高戦績は2015年秋季神奈川県大会ベスト4。
  • バレーボール部は「バレーの藤商」として知られ、春高バレーで1978年から1980年に史上初の三連覇を含み5回、インターハイで2回、国体で2回、それぞれ優勝している。「高校バレー三冠」は達成していない。
  • 陸上競技部は全国高校駅伝に2015年まで33回出場し、1986年の3位を含み3回入賞する。1979年から2007年まで28年間、5000mの神奈川県高校記録を樹立して更新し続けた。1999年9月に他校選手が記録を更新したが12月に当校の選手が同記録で走る。
  • テニス部は2001年と2004年に全国選抜高等学校テニス大会で準優勝する。
  • 簿記研究会は20年連続で県代表である。

当校が舞台の作品

[編集]

その他

[編集]
  • 文化祭にHOUND DOG西澤ヨシノリなど、著名人が招待されることがある。
  • 昭和30年代に火事で校舎を焼失し、現在は県競技場の所有地を売却した。不振期に、当校を廃止して藤嶺学園が短期大学を設立し、学長に福本和夫を招聘する計画があった。

交通

[編集]

著名な出身者

[編集]

プロ野球選手

[編集]

バレーボール選手

[編集]

陸上選手

[編集]

その他

[編集]

脚注及び参照

[編集]
  1. ^ 学校沿革・校歌|藤沢翔陵とは”. 藤沢翔陵高等学校. 2019年1月24日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 藤嶺学園藤沢商業高等学校編『藤嶺学園藤沢商業の歴史』上巻・下巻(藤嶺学園藤沢商業高等学校、1986年)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]