藤武喜助
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藤武喜助 ふじたけ きすけ | |
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生年月日 | 1858年6月17日 |
出生地 | 日本 鹿児島県 |
没年月日 | 1934年12月20日(76歳没) |
前職 | 鹿児島紡織各監査役 |
現職 | 鹿児島朝日新聞社長 |
在任期間 | 1922年12月19日 - 1925年9月28日 |
藤武 喜助(ふじたけ きすけ、1858年6月17日(安政5年5月7日[1]) - 1934年(昭和9年)12月20日[2])は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]藤武喜左衛門の三男、藤武喜兵衛の叔父として[3]のちの鹿児島県に生まれる[2]。のち1890年(明治23年)7月に家督を相続する[1]。生家は薬問屋だったが、洋品店を開業し、洋傘の販売で財を成した[4]。鹿児島商業会議所議員、鹿児島商工銀行、鹿児島貯蓄銀行各取締役、薩摩製糸、鹿児島紡織各監査役などを歴任した[2]。ほか、鹿児島市会議員を務めた[2]。
1922年(大正11年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年12月19日[5]から1925年(大正14年)9月28日まで在任した[2]。昭和初期の金融恐慌では私財を投じて銀行の取り付け騒ぎを鎮めた[4]。藤武株式会社を創始し、鹿児島朝日新聞第3代社長も務めた[4]。
親族
[編集]- 養子:敬三(貴族院多額納税者議員・相良安之助弟)
邸宅
[編集]- 旧藤武邸(鹿児島県民教育文化研究所)国指定有形文化財[6]
脚注
[編集]- ^ a b 人事興信所 1915, ふ17頁.
- ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1960, 212頁.
- ^ 人事興信所 1928, フ69頁.
- ^ a b c 竹内ほか 1994, 439頁.
- ^ 『官報』第3117号、大正11年12月20日。
- ^ “解体されないかも…1939年築の国登録文化財、2法人が購入希望「保存へ前進」 鹿児島市の県民教育文化研究所”. 南日本新聞. 2023年5月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 竹内理三ほか 編纂『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。ISBN 4040024605。